見出し画像

ふれる〜超初心者の茶道 6月

 あっという間にすぎ去った梅雨の6月。
今年の梅雨は雨量は少なく、暑い夏が予想されましたが、もはや連日の茹だるような暑さにバテまいと冷房頼みの毎日。みなさん体調は大丈夫でしょうか。

日本の伝統文化にふれる貴重な茶道体験を自分なりに残したい、そして頭の中を整理するためにもnoteに記してます。
余計なものが一つもない茶室は、涼を感じられる工夫もされてます。

6月の掛け軸

【清流無間断】(せいりゅうかんだんなし)
 (澄んだ川の水は絶え間なく流れている)

茶道では5月〜8月頃の、夏の時期に掛けられる禅語で、清流の涼しげな印象だけでなく、流れ続ける水が澱みなく清らかであるように、不断の努力や続けることの大切さを意味する。
澄んだ川の情景は暑い夏時間を一瞬涼しくしてくれる。

「今月も流れを止めることなく学んでいきましょうね」
生徒8名が揃うと先生は掛け軸と茶花のことなど、季節の話をしてくれる。初めて聞く花の名前がスラスラと出てくるのも毎回の楽しみ♡

短冊に描かれた「清流無間断」(せいりゅうかんだんなし)


風炉の薄茶点前


 風炉の薄茶点前の運びを1ヶ月ほどやっていくと、なんとなく手順や型などは少しずつ覚えているようだけど、いざお茶を点てる番になると緊張で頭が真っ白になり次の動作がなかなか出てこなかったり、間違ってないかと不安になったりして、憧れている美しい所作とは程遠く、まるで動画のコマ送りのようだと自分でも可笑しくなる。
畳のヘリを越す際、歩幅を合わせようとチョコチョコ小刻み歩きになったり、立ち上がりの時の左右の重心が違ったりすると、いつになったら自然と身体が覚えてくれるのかなぁなんてどこか他人事のように思う。
それでも風炉のお釜がシューーッと静かにお湯が沸いてる音が聞こえると気持ちが落ち着く。
稽古中の茶室は先生方お二人の声も響き、この心地よいシューシューーという微かな蒸気音は、お釜のすぐ前でお茶を点てている時にしか聞こえない。
不思議なことに、お点前の順番を考えてたり、上手に点てなきゃと思ったり何かしらの雑念があると、その音は耳には届かない。
聞こえるか聞こえないかが、美味しいお茶をたてられているかの私なりのバロメータになっている。

薄茶の棚点前

 6月中旬のいつもの和室は、また違う風景だった。

「今日からをつかったお手前を覚えますよ。
茶室が豪華になってきたでしょ!」

どっしりとしたお釜のすぐ横に棚が置かれている。本当に"豪華"という言葉がピッタリだ。
二人ずつ稽古をするため、1畳ずつに2箇所に形の違うお釜が置かれ、そのお釜の右隣には種類の違う棚が置かれている。
それぞれの棚には、すでに準備された水入れがあるべき場所に設置されている。
運び点前では、水がたっぷりと入った重たい"水入れ"を隙間なくきちんと揃えた両手でしっかりと持ち、お釜の右横まで運ぶ。その時にそっと持ち運んでいるつもりなのに、蓋をあけてみると蓋の裏に飛び跳ねた水滴があり、「もっとそっと運ぶように」と何度も指摘されていた。
棚を使った点前の場合はすでに設置されているなんて、大仕事が一つ減った気分だ。

豪華ついでに言うと、運び点前の時の竹製の柄杓の蓋置は、棚のお点前では陶器の蓋置に変わった。
お点前の最後には、柄杓と蓋置を棚に飾るため、お茶が終わった後の棚の様子はもっと豪華になる。
シンプルなのに豪華というのがとてもいい!

棚にはたくさんの種類があり、それぞれ『歴代のお家元』のお好みで作られたものがほとんどで、『○○好みの△△棚』と呼ばれるようです。

「手前の棚は、十一代玄々斎好みの更好棚(こうこうだな)。4本の脚(柱)で棚板の縁は赤く塗られているのが特徴です。
もう一つの十四代淡々斎好みの瓢棚(ひさごたな)は、見た目も涼しげですね。」

瓢棚は杉生地で勝手付の側板を瓢型に刳抜き、刳抜かれた瓢形の板を天板になる。その天板を竹の一本柱で支えている。脚(柱)が3本の棚ということ。

棚によって、棗や柄杓を飾る場所や水差しの動かし方まで変わるので、またまた覚えることはあるけれど、棚好きの私は何だか嬉しい気持ちが大きくなった。

種類の違う二つの棚の扱い方を覚えるために2週ずつ交代で体験した。

抹茶の様子

 お茶を入れる時は、棗の抹茶を竹の茶杓で2回掬う。
ふんわりとした抹茶の向こう側を平仮名の"つ"の字を描くように同じところを掬うようにと、毎回チェックされていた。
そして、やっとその意味がわかる時が来た。
おもてなしが終わると、客から「お棗、お茶杓の拝見を」と要望されると、使用した棗と茶杓を帛紗で清め直して客に差し出すというのがある。
棗や茶杓を拝見すると同時に、棗の中の抹茶の山の様子(状態)を眺めるという。

私たちが掬った抹茶の姿と先生の掬った抹茶は、一目瞭然、みんな思わず声を上げた。
私は掬ったところの状態ばかり気にしていたが、抹茶全体の姿⛰を見られていた。

先生の綺麗な"抹茶の山の様子"は、先月京都で見てきた枯山水の岩の姿のようだと思った。(この表現が適当かどうかは分からないけれど…そう思った。)

「使った後も綺麗な状態というのは日本人の美意識と繋がるものがありますね。抹茶を向こうから掬うのには理由があるのですよ。これも練習なんですよ。」
先生がサラッという言葉は、よく心に響く。

水 屋

ある時、なぜかお釜のお湯がなかなか沸かず、隣の水屋から足すお湯をもってくるため助手の先生が忙しく動かれていた。その時、何かを落とした音が水屋から聞こえてきて、結果何もなかったけれど、先生は、
「あらあら大丈夫ですか?
皆さんもよく覚えておいてくださいね、
茶室での点前の順番や所作より、大事なのは水屋なんです!水屋が一番なんですよ!」
……
(はい⁈ 水屋が一番大事⁇⁈)

四苦八苦しながら手順や所作を覚えて、茶室でおもてなしの気持ちを存分に味わっているけれど、茶道で大切なことはもっと他にもあるみたいで…。そう言われてみると、私達生徒は水屋には道具を受け取る以外に入っていない。準備や片付けなどすべて、先生と助手先生がされている。まだ水屋には立てないということなの?と想像する。

狭い水屋には客へ順番に出す菓子、お茶碗や茶道具が決められた場所にたくさん並べられている。家庭で言えば台所、キッチンのこと。
実際、お茶を点てるために茶室に入る時、茶碗と棗(なつめ)を両手に持ち運ぶ姿と畳の上に置く姿は、同じでないといけない。左手にお茶碗、右手に棗、その間隔は中棗一つ分、手指で言えば4本くらい、センチで言えば6センチ位。その間隔は水屋でも同様で、全てのモノは等間隔にあるべき場所に納まっている。

「使用中でもいつ何時でも同じ姿の水屋であるべきです。普段の家の様子や仕事の机上でも同様なのが理想ですね」と先生は仰る。

これは大変なことになった…と片付け下手の私は思う。


6月の花

夏らしく木の敷板の上には竹で編まれた蛇の目筒(じゃのめつつ)の花入
毎週違った花が雰囲気を替えて飾られていた。
茶室の中で私達と同じ時間を経過している唯一の生き物といったら多少大袈裟だけど、始めと終わりに拝見する花たちは僅かに開いたり、水の滴が蒸発していたり、少しだけ違う。
私が写真を撮るのは稽古が終わった後の花たち。

センニンソウ(仙人草)とガクアジサイ(額紫陽花)

センニンソウとガクアジサイ
風車のような花びらで長いお髭のあるセンニンソウ(仙人草)は毒性が強く、別名ウマクワズ(馬食わず)といわれている。



コバンソウ(小判草)とアマチャ(甘茶)

この時期とても小さな穂先の小判草は、季節が進むと少しずつ形が変わる。アマチャ(甘茶)は、ガクアジサイの仲間で、葉に甘みがあり、お茶にすることができるという特徴がある


ユリスイセン(百合水仙)とオオハンゲ(大半夏)

ユリスイセン(百合水仙)とオオハンゲ(大半夏)
大半夏は普段は山歩きすると見つけられるみたい。大きな3つの葉とすっと伸びた緑色の髭のような付属体が特徴的な野草。




タマアジサイ(玉紫陽花)

タマアジサイ(玉紫陽花)
蕾の時期はシャクヤクの蕾のような玉であり、一般的なアジサイとは全く違った雰囲気を出す。花が開くとガクが落ちてしまう。


ハンゲショウ(半夏生)とノコギリ草

ハンゲショウは、七十二候の半夏生(はんげしょうず)の由来。名の通りこの頃、葉が半分白くなり化粧をしているようだと言われている。ノコギリ草は、どくだみ草の仲間で長く伸びた茎の先端に小さな花がたくさん固まって咲く。葉はノコギリ刃のようにギザギザ!


床の間の花はどれも記録しておきたく、全部載せてしまいました。

もちろん花の数だけ、お菓子も頂きました〜🤭
お茶碗はどのような器にあたるのだろうかと、毎回楽しみながら、主役のお茶をいつも美味しく頂いてます🍵

紫陽花、青梅、水無月などなど。
左下のういろうで包まれた和菓子がとても好きでした♡名前は何だったのだろう…♪



最後まで読んでいただきありがとうございました♡

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?