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自分を愛するということ

『みゆちゃんはわたしに自分の愛し方を教えてくれた』
今日、そんな嬉しい言葉をかけてくれた人がいました。

ふと考えてみました。よく聞く”自分を愛する”って何なんでしょうか?どういう状態なら、自分を愛している、と言えるのでしょうか?

どこか温かくて希望を感じるその言葉の中身は、抽象的で何を指しているのか長い間わかりませんでした。
わたしは数年前まで自分の心を殺して、周りに合わせる生き方をしてきました。そんなわたしにとって、自分を愛することとはどんなことなのか?今のわたしが考える自分を愛するとは何なのか?を、深掘って書きたいと思います。

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ーもう自分の心を殺して生きるのは、疲れた…

家に帰れば、親や祖父母から求められるいい子ちゃんになり。学校に行けば、自分がどうしたいかよりも友だちの顔色を伺いながら、その日その日を乗り越えて。恋人の前では、こんな自分を好きでいてもらいたくて、捨てられたくなくて、良い彼女を演じた。
目の前の人によって、いろんな仮面をつけ変えながら過ごしていました…


ー本当の”わたし”はどこなの?もう、こんな自分が嫌だ。

どこからかそんな声が聞こえてきそうでした。その言葉が、どこからでもなく、自分の中からはっきりと聞こえた時、心がもう限界を迎えていることにやっと気づけたのでした。


ーこんな自分を変えたい。

人に合わせていた自分から、自分の意見を大事にする自分に。他人に優しくする自分から、まずは自分に優しくする自分に。自分の人生の操縦席に親でも友達でもなく、自分自身を乗せてあげるイメージで。


わたしは人より苦手なことが多いです。
時間は守れないし、人の考えていることを察することができないし、暗黙の了解とか言ってくれないとわからないし、大人数だと誰が何の話をしているのか途中でついていけなくなるし、人との距離感を掴むことも苦手。

みんなが当たり前にできることがわたしにはできなくて、それでも周りに追いつきたくて、必死にしがみついていました。できない分はみんなに見えないところで努力し、そして、見栄を張ってできるフリをする…
そんな不器用な生き方をしていました。

自分を愛することは、”何かができる自分になること”ではないと思います。
わたしは長い間、愛されるためにたくさん自分に付け足してきました。勉強ができる自分、人に優しい自分、柔らかい自分、運動ができる自分。愛されるためにたくさんできる自分になろうとしました。そしたらみんなわたしのことを愛してくれるでしょう?と、本気で思って。

足してみてわかったことは、本当に必要なのことは足すのではなく、むしろ引き算をしていくこと。生きるために、集団に馴染むために、友だちについていくために、家族に見放されないために身につけてきた鎧を一枚一枚剥いでいく。そして何もできない(と思っている)自分に戻っていくこと。

みんなにとっての当たり前のことができなくて、そんな自分が大嫌いで…
頑張ってもできなくて…
そんな自分を一つ一つ「そうだね」と、そのまんまを許していくこと。

何かができない自分のこともできる自分も
自分の嫌いな自分のことも自分が好きな自分も
自分を許せない自分すらも
全部、そのまま、その瞬間を「それで良いよ◎」と許していくこと。

自分で自分のことを許していく。
そして、「こんな自分ではダメだ!」と縛っていた心を緩めてあげる。

それが自分を愛するということなのではないかと、わたしは思っています。


愛することは、許すこと
それが今のわたしの答えです。


MIYU

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