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アメリカで学ぶということ

アメリカの大学での1学期目を終えて「勉強ってこんなに楽しいんだ…!
と強く強く実感しています。しかし、高校時代の私はというと、
「こんな一方的な授業つまらないな…」
「もっと好きなことを楽しく学びたい…」
「暗記ばかり、本当に意味あるのか…?」
とばかり嘆いていました。

なので今回は、私の中での"学ぶ"というイメージを退屈から楽しいへ180度変えた、アメリカはリベラルアーツカレッジでの教育についてまとめました!
特に後輩世代にとって、こういう学び方もあるんだ!と新たな発見に繋がり、今いる環境の外の世界を覗くきっかけになれば幸いです。


そもそもリベラルアーツカレッジとは

アメリカには様々な大学の種類がある中、私が通うのは「リベラルアーツカレッジ」といわれるものです。(他の大学の種類についてはこちらより)

私が通うアーラム大学/Earlham College(リベラルアーツカレッジ)の特徴としては
・大学で行われている授業の80%は20人以下
・1クラス平均12人の少人数制
・ディスカッションベースでの授業

カリキュラムとしては、人文学(humanities)・自然科学(natural sciences)・社会科学(social sciences)・アート(visual and performing arts)の4分野それぞれから、6単位以上を必修で学びます。


実際に授業を受けてみた!

先学期に取った4つの授業としては
・最も価値のある知識とは(The Knowledge Most Worth Having)
・ミクロ経済学入門(Intro to Microeconomics)
・社会的正義(Social Justice)
・描画(Drawing)

今回は、上記の中で最も面白かった"最も価値のある知識とは(The Knowledge Most Worth Having)"という授業について紹介します。

アリストテレスの本を予習で読み、授業中にその本について話し合うという流れです。アリストテレスが唱えた3つの友情(以下"フィリア")に、自らの友情関係を分類し、生徒が自らの経験を基にディスカッションをするというものです。

3つのフィリアというのは
①実用のフィリア…利害関係に基づく
②快楽のフィリア…お互いの楽しい感情に基づく
③善のフィリア…相手を無条件に愛し、相手にとって良いことをしたいという願望に基づく
そして、③=完璧な友情関係とされる

分類した後の議論の目的は、「大学に来てあなたは善のフィリアを見つけることが出来たか」を吟味することでした。

この問いを自分に投げかけたとき、答えははっきり"No"でした。
母国を出て、海の向こうで生活する中で、私は常に心のどこかで"孤独"を感じていました。どこから来るか分からない、でも消えることのない孤独感。

しかし、この授業ではっきりと分かりました。
私の孤独は、善のフィリアをここで見つけていないことから生まれたものだと。日本にはあった善のフィリアが、まだここ(アメリカ)にはない。

ここで見つけられていないのは、言語の壁によるものか、文化の違いによるものか。多角的に原因を分析しました。
まだ見つけられていなくとも、ここでの日々の生活を振り返って、1つはっきり分かったのは、素直な感情を打ち明けたとき、はたまた弱さを開示したときに、相手との心理的距離が縮まるということです。人間らしさが垣間見えたときに、善のフィリアで最も重要とされる相手を愛する気持ち(友愛=友人としての親しみの気持ち)が生まれるのです。

この大きな気付き(=学び)は、今後の大学生活では積極的に素直な感情や自分の弱さを表に出そう!という自分自身への教訓となりました。


改めて「学ぶ」とは

この授業は私にとって、日本では小難しいからと避けていた哲学(アリストテレスの思想)が日常生活に活きた瞬間でした。

私が18年間日本で受けてきた教育と比べて、アメリカの4か月間の教育では、学問と私達の世界(日常生活)が繋がっている

だから、学びが活きたように感じる。
学ぶ意味・必要性が見えてくる。
学ぶこと自体が楽しくなる。



これも学び!?

番外編ということで、とある日の衝撃的な授業を紹介します☻


ー授業開始ー
教授: 君たち最近hardworking(=真面目)すぎるよ
生徒: ....??
教授: 今日は皆lazyになろう(=怠けよう)
生徒: ザワザワ..

そして授業90分丸々、ハイキングになりました:)


後で教授に話を聞くと、このハイキングの目的は「自然の美に浸ること」でした。
この日の前の授業で、「日々忙しくて、人生における大切なものを見失っていないか」をテーマにディスカッションをしており、
人生における大切なものというのは、例えば「自然に触れ、生命そのものの美を感じ、我を忘れる瞬間そのものである」という意見が出たことから、考案されたハイキング(学び)でした。出た意見が本当に人生にとって大切なのか、実際に体験してみよう!ということです。(=意見の妥当性を見極めよう!ということでした)

学ぶ=座学(机上での勉強)だと思い込んでいた私にとって、学ぶという概念が覆された瞬間でもありました(笑)

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