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死ねない世界になればいいのにね

前回投稿から少し時間があいてしましました。
私の文章を今読んで下さっている貴方はお元気に過ごされていましたか?
(溢れ出る暑中見舞い感。笑)

この地球上のどこかで、
はたまた、私や貴方が生きるすぐ近くのコミュニティで、
明日が来ることが信じられない程に悲しく苦しい出来事があっても、日々は容赦無く過ぎていきます。

生きるということは、
不平等に残酷であるということを、
同時に平等に時が過ぎていくということを、
大人になるにつれて実感することが増える今日この頃です。

いつか世界が真面になって 人の寿命さえ随分伸びて
死ねない世界になればいいのにね

ヨルシカ「レプリカント」

これは、この曲が伝えたい全てではないと思います。
それでも私はこの曲を聴いた時、「死ねない世界になればいいのにね」と、
この部分に強く心が動かされたのです。

そんな世界になることで
この世界の刹那的な美しさを感じられなくなってしまっても、
この世界から一つでも悲しみがなくなれば、
今目の前で涙を流すあの人は、今頃笑顔でいられたかもしれないじゃないか、と。

あれほど死ぬ事が怖かったのに
いつか君もいなくなってしまうなら俺もちゃんと死にたい

UVERworld「EN」

「死ねない世界」と「死にたい」という言葉。
真逆の言葉なのに、どうしてどちらも共感するのか。
どうしてどちらも心が締め付けられるのだろうか。

人とのお別れはいつだって悲しくて心が締め付けられるから、そんな悲しみがないに越したことはないです。

けれどもその別れが不可避なものであるのであれば、
私も貴方も必ずお別れの瞬間があるのであれば、
いつかいなくなることを正しく受け入れて、
後悔なく「ちゃんと」生きたい。

そういうことですよね。
だからきっと「死にたくない」と思う感情も、「ちゃんと死にたい」という感情も根本の部分は同じことを言い換えているだけなんでしょう。

生き物である以上明日が来る保証なんてどこにもない、と教えてくれた憧れの人達。
だから今日も真っ直ぐに大切に生きたい。
そんな方々の音楽に出会えたことを私は今日も誇りに思います。


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