見出し画像

何を想い、舞うのか。

彼女、彼等は何を感じ、何を想い、舞台で舞うのだろうか?
本日「キエフ・バレエ・ラガ」というバレエの舞台を観劇しました。

実は私自身小さい頃バレエを習っていたのですが(ここで並べて話すのは大変恐縮なのですが、発表会レベルの舞台に立たせていただいたことも一応あるのです!笑)、プロの方の舞台を観る機会がなかなか無かったもので。
今回初めてのプロのバレエの舞台を観ることが叶いました!
舞台を観た感想を少々語らせていただきたいなと。

①今、何を思うのだろうか

キエフはウクライナの首都であり、
京都の姉妹都市でもあり、
また同時に、世界情勢的にものすごく大変な状況下にあることは皆さんもご存知かと思います。

一言では言い表せないような、
一人一人の背景、不安、覚悟がきっとあったと思います。

けれども舞台が始まり、
私の目の前に存在したのは、
ただ、各々の信念を持ち、力強く自由に舞うバレリーナの皆さんでした。

しなやかなジャンプを繰り返しても、着地の音なんてほとんどしない。
それは、柔軟さの土台には強い体幹があるからなのだと。 

細かいつま先や指先の動きばかりなのに、下を見ることなく前を見据えている。
それは、この舞台まで何度も下を向いて観る人の想像を超える努力を重ねたからなのだと。

そう、強く感じました。

人の本気って、努力って、国境をも越えるんです。
こうして私の心の壁を越えて、影響を与えてくれるのです。

②「知っている」と「知らない」の差

私は中学生時代は吹奏楽部に入っていました。
ちなみにフルート吹きでした。
(なんか今日情報過多ですね…私情報多めですがご容赦下さい!笑)
中学一年生の頃、初めてのソロ曲はカミーユ・サン=サーンスの「動物の謝肉祭」第13曲「白鳥」という曲でした。

それがなんと今回、「瀕死の白鳥」という演目として踊られたのです。
中学一年生の私は正直「なんか暗い曲だな〜、友達はもっと明るくてポピュラーな曲を選んでもらえてるのになんで私だけこんな曲なんだ!」と思っていました。

それは、曲調がゆっくりでシンプルな分、吹き手の実力が全面に出てしまう曲であったからです。
その頃の私はただ、「大きなミスをしないこと」だけを考え演奏していたものですから。

本番は、抑揚無く音が裏返らないように、細い息で不安定ながらにも演奏し、幸いにも大きなミス無く演奏を終えることができました。
が、聞き手にとってはさぞ記憶にも残らないつまらない数分間だったことでしょう。

今日目にした「瀕死の白鳥」という演目。
本当に、圧巻でした。
バレエも楽器で奏でるのと同様、シンプルな振りがメインです。
私が演奏した曲と同じ曲のはずなのに、今日目にしたのは、頭の先から爪先までまるで白鳥が憑依したような、全く別の作品だと感じました。
「心が震える」バレエををこの目で見ることができたのです。

ここでいいたいこと。
気持ちを込めて表現することは勿論大切なことなのですが、今回言いたいのは、「知っている」と「知らない」の差がどれほど大きいのかということ。

私はこの曲がどんな曲なのか知らなかったし、知ろうとしなかった。
当時の私の実力も足りていなかったのは勿論ですが、そもそもどんな作品かを知らないからこそ、あんなにもつまらない演奏ができたのだとも思います。

それに比べ、目の前で舞う彼女は、きっとこの数分間の曲についてどれほど考え、向き合い、躍ったことでしょうか。

実力以前に、知識の有無でこんなにも見える世界と物事への姿勢が変わるのであれば、まずは何事に対しても「知ろうとする」ということを大事にしなければならない。
知った上で向き合わなければいけない。

舞台は「ナマモノ」です。
心を動かし、また同時に、大きな学びを得ることができるもの。
今日も素敵な芸術との出会いに感謝しなければ!

この記事が参加している募集

舞台感想

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?