顔を覚えている男の話➄

たぶん1時間くらいしか会っていなかったのに、タイで出会ったなぜか忘れられない男の子の話。

大学の卒業旅行は親友二人とタイに行くことにした。大学4年の3月。卒業式間近の私たちは格安旅行会社の激安プランでタイへの旅行を予約した。私にはその頃所属していたサークルのOBで、歳の離れた知り合いの先輩がいた。その先輩は仕事によくタイへいっていたので、卒業旅行でタイにいくといったら現地で美味しいお店を紹介してくれるといった。

その先輩は何の仕事をしているのかいまいちよくわからないけど、いつもおしゃれなお店を知っていてたまに一緒にご飯を食べるという関係だった。先輩のことは恋愛感情を持ったことは全くなく、向こうは私のことが気に入っているのでご飯に誘っているようだけど私はその気は全くなかった。先輩はタイにもお気に入りの女の子がいて、仕事の仲間と一緒にタイによく行っていたらしい。

先輩はタイで出会った女の子と遊ぶ代わりに、その子にお金を渡しているといっていた。その女の子と身体の関係があるのかは知らないけど、ご飯を食べたり遊んでもらったりするかわりにその女の子の家族を養っているらしい。タイ旅行中に一度会ってみたら、とても華奢で可愛い女の子だった。黒髪のストレートが似合い、華奢な腕と小さい顔、モデルのような顔をしていた。家族が何人もいて、その子が働かないといけないのかもしれない。

タイ旅行では本当にたくさんの経験をした。屋台にいったり観光名所にいったり、タクシーに乗った時に騙されそうになったりもした。まあよくいうような学生の卒業旅行だ。

タイ旅行中は、先輩と先輩の彼女と、仕事の仲間とその人の彼女、私、親友という謎のメンバーで遊びに回った。クラブにいったり食事にいったり、コテージみたいなところでご飯をつくったり。先輩や仲間の彼女といってもタイ人なので会話はできない。先輩たちは美女に囲まれて幸せだとビールばかり飲んでいた。

ある日、先輩たちが面白いところに連れてってくれるといった。その日はタイの彼女たちはこなかったので、先輩と仲間と私と親友の4人で行動していた。

連れてこられたのはタイの中心地、街の路地裏に怪しいネオンのお店がたくさんあるような場所だった。日本人が歩いているだけでじろじろ見られる。少なくとも私と親友だけではこのような場所には来られない。タイ語がペラペラの先輩がいたから来ることができた。

「ここだよ。」そういわれて入ったお店はボーイズゴーゴーバーだった。

地下にあるお店に入っていくと、まずガラス張りの壁の向こう側に全裸の男の人がたくさんいた。全身丸見えのまま、踊っていた。とりあえずお店にいる男性全てが上半身裸かもしくは全裸だった気がする。

席に座ってお酒を飲んでいると、ショーが始まるといわれた。また全裸の男性が数名でてきて、いきなり自慰行為をはじめた。お店の真ん中ですごいことが始まっているのに、周りの客は慣れた感じで見ているのか見ていないのかわからなかった。店内は音楽が爆音で流れており、もう何を話してもほとんど聞こえないのに客はお酒を飲んで盛り上がっていた。しばらくすると、数名の中のうちの一人がイった。そして残りの全員の男性がイクのを見届けて、そのショーが終わった。どろどろの液体だらけになった舞台をモップで拭きに来るのも、全裸の男性だった。

そしてまたいくつかのショーが終わったあと、しばらくすると白いパンツだけ履いた男性たちがたくさんでてきた。20名、それよりももっといたかもしれない。爆音の中、一人一人がダンスのようなものを踊っていた。そうすると、先輩が「あの中から好みの子を選びなよ」といった。選んだ男性と一緒にお酒を飲んだり、ホテルに一緒にいくこともできるらしい。

見ていると自分を選んでくれといわんばかりにアピールする人が何人かいた。当時はまだ女性版の方が有名で、ボーイズ版にいく観光客はあまりおらず、日本人の女に選ばれることも少なかったのかもしれない。

ウインクしてきたり手をふったり、とにかくアピールしながらダンスをしている半裸の男性たち。親友はマッチョが好きなので、色黒のマッチョの人を選んだ。私はアピールしてくる人も少しタイプだったが、その横で伏し目がちでおとなしそうな犬みたいな子にした。

骨格は細く、男の子なのに私より少し大きいくらいで細かった。目はぱっちりしていて、薄い唇にすらっとした鼻をもっていた。もちろんタイ語はわからないし、英語もそんなにできないから、意思疎通は全くできない。でも、私の隣でぴったりくっついて犬みたいに従順だった。

たまに何か話してくるけど、なにいっているかわからないし、私も何をいっていいかわからなかった。どうせお金を払うのは先輩なので、一緒にお酒をたくさん飲んだ。

私の隣にいる彼も、先輩の彼女のように家族を養っているのかもしれない。きっと生きていくためのお金が必要で必死に働いているのだろう。どうしてここで働いているの?何歳なの?色々聞きたいけど、言葉もでてこない。何も聞けなかった。

彼は何も話せない私の目をじっとみつめて、手を握った。手を握ることなんてなんでもなかったのに、少しドキドキした。彼の透き通った目が何か訴えてきてるようで。何か伝えてきているようで、少し緊張した。手をつないだドキドキというよりも、彼が何かを訴えてくることに緊張したというのが正しいかも。

飲みすぎた先輩は通訳してくれるでもなく、ふざけて私たちの写真を撮った。そうして時間が過ぎて、私は彼をホテルに連れていくこともなくそのバーを出た。彼は最後まで何も言わずにじっと私を見つめていた。その目が捨てられた子犬みたいで、あれから何年経ってもあの目が忘れられない。

彼はどうしているだろうか。まだあの世界にいるのだろうか。何度会っても覚えていない男たちがいる中で、タイの彼の顔は今でもしっかり覚えている。あのとき、彼は何を伝えたかったのだろう。ただ客をとる戦略だったのかもしれないけど。細い身体であの世界でやっていけるのか、そんなお母さんみたいな母性本能的な思いがこみあげる。

日本はもちろん、世界にはたくさんの人がいて、たくさんの仕事があって、私の知らないことがまだまだたくさんあることを痛感した。旅行を楽しめる私たちがいる中で、生きていくために自分を売ることで生計を立てている人もたくさんいる。

今また世界に行きづらい世の中になっているけど、たくさんの人が自分の毎日を必死に生きているのだとたまに思う。辛く悲しい毎日を送っている人もたくさんいるだろう。自分の努力ではどうにもならない、辛い人生を送っている人もたくさんいる。

つい私が、自分が、と思いがちだけど、視野を広げてみるとたくさんの人のたくさんの生き様があると痛感する。彼を思い出す度に、自分の視野の狭さが嫌になる。

彼の生きている世界が明るいものでありますように。彼を思い出すたびに私は遠い場所から彼の幸せを祈っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?