見出し画像

顔を覚えている男の話①

顔の覚えている男たちの話をぽつぽつしていこうかと思う。まずは私が大好きだった人の話。

私は就職してから上京し、職場の寮に住んでいた。寮は広くもなくキッチンもない無機質な部屋だった。

ほかに住めるところもないから仕方なくそこに住んでいたのだけれど、古くてあまりきれいではない寮だった。

でもその寮にはなぜか固定電話が設置されていて、部屋ごとに小さな電話機が置いてあった。

特に毎日電話には気にせず過ごしていたのだけれど、ある休日、その電話が突然ものすごい爆音で鳴った。

リリリリリリ・・・・

管理室からの事務電話かと思って、何も考えずに電話に出たら若い男の人の声がした。

「もしもし?これって今どこにつながっていますか?」

電話に出ていきなり冒頭に質問されることもなかったし、何を言っているかわからないから電話を切ろうと思ったけど、面白半分、暇だったので会話してみた。

「この番号は、ある会社の寮の固定電話ですよ」

私の言葉に彼は言葉を一瞬なくした。

たぶん真面目に答えた私の回答に驚いていて、毎日同じような電話をしていて大抵電話を切られるのだろう。きっと営業の電話だな、とそこで察した。

そこからなぜかわからないけど、話がどうでもよいことでかなり盛り上がって、数時間話していたのを覚えている。

どんな仕事してる?休日なにしてる?どんな映画が好き?とか。

今思えば出会い系の電話版みたいな感じ。

彼の営業手口で、上手なトークにうまくだまされたといえるかもしれない。

でもそれでもよかった。この頃の私は少し頭がおかしかったから。

それから休日に会社の寮にある固定電話で電話をする仲になり、顔もどこの誰かも全くわからない相手からの電話にうきうきする毎日。

ある日、僕のお店があるから来てくれないかといわれた。

今思えば本当に怪しいし、何されてもおかしくない状況だったが、その頃の私は頭がおかしかったので何も考えずにいわれたお店に行った。

指定された場所にいくと、銀座だったか六本木だったかとにかく何かの商品を扱うお店みたいで、綺麗に内装されたオフィスには、スーツを着た可愛い女性やかっこいい男性がたくさんいた。

そこから一人の男性が出てきた。それが電話の彼だった。

そのときに彼を初めて見た。一目ぼれってこういうことをいうのだなと実感した。

目を見張るほどのかっこよさ。背が高くて明るくすぎない髪の毛と、清潔な服、笑うと綺麗な歯が見えて、二重の目も大きかった。

その頃、流行りの俳優に似ていた。

白いワイシャツがぴったりだった。もう10年以上たつのに今思い出しても、思い出せる。

何人も顔を覚えていない男がたくさんいるのに、この彼の顔だけはしっかり覚えている。

あんなに電話をしていたのに、いざ目の前にすると恥ずかしい。でもかっこいい。

漫画でいうと、もう多分私の目はハートマークになっていたと思う。

いわれたイスに座ると、彼は奥に行ってしまった。代わりに、奥からオーナーみたいな人が出てきた。

色々いわれたけど、要は彼が全く遊んでいなくて真面目な奴だよ、みたいな話だった。

別に何を売っているかとかは言わずに、たぶんその彼のことを信じさせるためのテクニックなのだろう。

そして彼がまた出てきて、マニュアルみたいに何か商品を見せられた。別に買ってほしいとも考えてほしいともいわれずにお店を出た。

その日だったか別の日だったか忘れたけど、連絡先を交換した私たちは改めて会った。

恵比寿にあった大きな水槽があるおしゃれなお店に連れて行ってもらって、お酒を飲みながらゆっくり話した。

もう何を話したか覚えていないけど、かっこいい彼と一緒にいれるだけで私は幸せだった。

一緒に歩くと街中の女性たちが彼のことをみる、そんなレベル。見たくなる気持ちもわかる、だってかっこいいもんね。

そして、おしゃれなお店に行ったあと、その日にホテルにいって初めて夜を一緒に過ごした。

彼は部屋に入ってすぐにことを済ませようとはせず、いったんお風呂に別々に入ってベッドに入ってとりあえず寝る人だった。

もうこのまま寝るのかなと思い、私がうとうとしていると、夜中に突然優しい彼の手で体中を触られている。それで私は目を覚ます。

その彼の触り方がとっても優しくて、初めての快感で驚いたのを今でも覚えている。彼とは身体の相性もよかった。

相性というのは一度だけで十分わかる。体中すべての細胞が彼のことを求める、吸い付くように私の肌が全身で彼を求める。

私は、彼とセックスをすると決まって悲しくもないのに涙が出た。

翌朝目が覚めると、朝7時。すでに彼はいなくてホテルのテーブルに五千円札だけ置かれていた。

ぽつんと置かれた五千円札をみて、まるで今の私の価値みたいだなって思った。彼からの評価、私の価値。

千円よりは高いけど、一万円を出すほどでもない。

彼とホテルに行くと、翌朝のテーブルに五千円札が置かれているのが日課になっていた。

そうして夜に会ってご飯食べてホテルにいって、早朝には彼が仕事にいくという関係がしばらく続いた。

大抵彼の仕事が終わる夜9時とか10時とか、遅いと12時すぎとかもあったと思う。彼の仕事はいつも朝から夜遅くまで続いていた。

彼は「今日くる?」っていうメールだけ送ってくるから、「いく」ってだけ返信する関係が続いていった。

二人の会話が全部で7文字。会ってから話すとしても数時間だけ。一緒にいる時間のほとんどがベッドの上だった。

一度、社員旅行から帰ってくる彼のためにレンタカーを借りて成田空港まで迎えにいったころがある。

もちろん社員に会わせることもなく、荷物を置きたいからと実家に寄りたいといわれて寄ったけど、家に寄ることも家族を紹介してもらえることも、もちろんなかった。

私はいつも彼にいわれたところで、外で待っている女だった。

誰にも私を紹介してくれないし、付き合おうとも、好きともいわれない。何も売られないけど、彼が何を考えているのか何もわからない。

それでも私は彼が大好きだった。だから、恋をしていて、盲目になってしまう子の気持ちが本当にわかる。

人を好きになるということを初めて知った。

本当に好きな人だったら、何を言われても何をされても許してしまう。

もし彼に家庭があったとしても、それに気づかないふりをしていたと思うし、もしかしたら結婚していた可能性だってある。

それでもよかった。家庭があっても、私に会いたいと思う瞬間が彼の中にあるだけで私は幸せだ。

私のこと好きなの?どう思っているの?なんでこんなに会ってくれるの?聞きたいことはあるけど、聞けない。

聞いちゃいけないから、いつも我慢した。ただ笑顔で、ただ物わかりの良い都合の女でいなくちゃいけない。

自分が今できる精一杯のおしゃれをして、呼ばれたら会いに行く。私ができるのはただそれだけ。

彼は、私たち二人の写真も絶対撮ってくれない。カメラを向けると「俺、写真嫌いなんだよね」といわれる。

だから私は一度だけ彼が寝ているときに、寝顔の写真を一枚だけ撮った。当時はスマホなんてないから、とても画素数の低い携帯で。

画像の悪い彼の写真だったけど、かっこいい彼を会えないときにも見られる。それだけでよかった。

少しはだけたシャツを着た彼、白い肌に、目をつぶっていてもわかる切れ長の目。

私は寝顔の彼の写真をいつも眺めていた。今思うと、彼って売れっ子ホストみたい。

でもやはりそれでは満足できない。いくら好きとはいっても、段々当初の気持ちだって減ってくる。

最初は一緒におしゃれな居酒屋いったりしたのに、それすらもしてくれなくなる。ホテル以外に行ったことだってない。

一緒にする食事だって段々悪くなる。ホテル近くのラーメン屋、コンビニのおにぎり、ホテルで頼む出前。どんどん、ホテルで済ませられる食事になっていく。

好きといわれない関係と何も進展しない関係性に嫌気がさして、会う頻度も減っていった。

その頃の私はとにかく周りにいろんな人がいたから、彼の代わりを見つけてまた遊ぶようになってしまった。

そうして連絡をとらなくなって、連絡を返さなくなって、段々会うことがなくなっていった。

あんなに好きだったのに、別に他で埋められれば私も彼のことを忘れられる。所詮冷たい女だった私。

でも、彼を忘れるために他の男で埋めていたということもあるけど。

そして、今の旦那に出会って、結婚した。彼のことも記憶から薄れて、段々と忘れていった。


連絡しなくなって数年経ったとき、突然彼から結婚したと連絡がきた。

「職場の人から逆プロポーズされたんだよね、実は息子もいる。」彼にそっくりな男の子の写真付きだった。

嫉妬とかは全くなかったけど、彼との思い出が一気にこみあげてきた。

私のことどう思っていたの?あの頃の私たちってなんだったの?少しでも愛情を感じたことはあったの?今聞いても無駄なことが数年経ってこみあげてくる。

数年経っても彼にききたいことはあのころと同じ。でも、数年分のその言葉を飲み込んで、「おめでとう」とだけ返信した。


本当に好きで何をされても許せるような人。そんな大好きな相手でも、こんな関係で終わることもある。所詮忘れられる相手じゃん、と思う人もいるかもしれないけど。

自分が大好きだからって結婚できるわけでも、相手が自分を好きになってくれるわけでもない。

彼と私の間には見えない大きな壁があった。高くて上も見えないほどの壁。彼の心は一切見えない。いくら身体を重ねても、彼の気持ちを知ることはできない。

出会いもデートも、関係性も最悪なのに、それでも、私の中の彼はいつでもかっこいいまま。

何人も顔を覚えていない人もたくさんいるのに、彼の顔だけはしっかり覚えているのが不思議だ。

そして、結婚してまた時間は経っているのに、彼の顔はいつ思い出しても浮かんでくる。

彼と初めて出会った季節、彼と何度も泊まったホテル、朝起きるとテーブルに置いてある五千円札、私の肌を触る彼の優しい手。

そして、冗談を言いながら少しはにかむ彼の笑顔。

彼と初めて出会ったのは、冬が終わって、花が咲き始める季節だった。私の大好きな春の匂いがする季節。

彼と出会った春は、今でも私の大好きな季節になっている。



この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,315件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?