オンライン展覧会「江戸・明治 妖怪事件簿」
この記事は、湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)で開催した企画展「江戸・明治 妖怪事件簿」(会期:令和3年3月11日~6月8日)を、インターネット上での閲覧のために再編集した、オンライン展覧会です。記事の価格は600円です。
当館では、本展の会期中に発令された緊急事態宣言を受けて、市外からのご来館をお控えいただくという対応をとらせていただきました。そのような中、「行きたくても行けない」というお客様の声を、SNSなどで多くお寄せいただきました。
この記事では、展示室の様子の写真も織り交ぜながら、少しでも「行った気分になれる」オンライン展覧会をめざしています。
このオンライン展覧会では、実際の会場で前期のみ、あるいは後期のみ展示された資料も、すべてまとめて閲覧することができます。また、展示室に掲示していたパネル(解説、翻刻など)を網羅した上で、さらにあらすじを書き起こしたりした資料もあります。本展を会場でご覧になった方にも、さらに充実した内容の図録のようなものとしてお楽しみいただけるはずです。
一度購入された記事は何度でも読み返すことができます。展示資料は約100点、おうち時間にどうぞ、ごゆっくりご覧ください。
そしていつかぜひ、実際に博物館へも、足をお運びください。お待ちしています。
オンライン展覧会「江戸・明治 妖怪事件簿」
ごあいさつ
古来、人智をこえた不思議なできごと、あるいは妖怪の出現は、「事件」として捉えられ、記録され、また描き出されてきました。
江戸時代に、庶民が創り出し、庶民が愛し親しんだ浮世絵もまた、妖怪事件を表現する場となりました。とくに、江戸天保年間から明治初期にかけての「妖怪錦絵」の黄金時代には、さまざまな妖怪事件が描き残されています。錦絵の円熟した技術と表現力によって、妖怪は欠かせない存在として活躍しました。当時の事件を英雄による妖怪退治に見立て描いた風刺画、また、強烈な場面を切り取り人々の興味をかき立てる新聞錦絵は、一世を風靡します。そこからは、人々が妖怪を求めた好奇心、妖怪に求められた役割を垣間見ることができます。
本展は、所蔵の江戸・明治の錦絵を中心に、現代のヒバゴンまで、「妖怪」と「事件」をキーワードに妖怪事件簿をつづり、世相史をたどる企画展です。
展示目録はこちらです。
https://miyoshi-mononoke.jp/wp/wp-content/uploads/2021/03/妖怪事件簿_展示目録.pdf
【展示と表記について】
・本文および画像の無断転載はご遠慮ください。
・本文中には一部、人権上好ましくない表現が含まれますが、資料的価値を尊重し、当時の社会情勢を伝える目的で、そのまま使用しています。
・資料キャプションは、展示№、「資料名」、作者名、制作年代、形態、サイズ(縦×横、単位はmm)の順で表記しています。
・旧暦・新暦は、当時使われていた暦のままで表記しています。
・資料を翻刻する際には、旧字・変体仮名は、現在用いられている字体に改め、読みやすいよう濁点などを補っています。
プロローグ 妖怪×事件
「事件」とは、世間を騒がす非日常的なできごとのことです。妖怪の出現や、妖怪のしわざとされた不可解なできごとを、本展では「妖怪事件」として扱っています。
日本では妖怪事件が起こったとき、古代から伝統的に、政権によって卜占が行われ、天災などの予兆として理解されてきました。そのシステムは江戸時代まで連綿と続いていましたが、一方で政権に対処されない妖怪事件も記録されていくようになります。人々の好奇にあふれた期待に応えて、妖怪事件は絵に表され、創作を加えられながら多様な媒体で発展してゆきます。
№1「百物語絵巻」林熊太郎 明治4(1871)年 全2巻 263×16570(天)、263×17450(地)
三次を舞台とした妖怪物語「稲生物怪録(いのうもののけろく)」の絵巻作品。時は寛延2(1749)年7月のこと、百物語を行った主人公・稲生平太郎のもとに、30日間にわたってさまざまな怪異や妖怪があらわれるというストーリーです。騒ぎを聞きつけた知人らが助太刀に来る場面もあり、妖怪事件としての臨場感を盛り上げています。
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