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ゴジラvsコング:予想通り、でも凄い

物語はまったく予想通りなのにすげぇ面白い、という映画『ゴジラvsコング』。奇をてらった設定を持ってきたり、斬新な演出を行ったりということはほぼなく、とにかく「ゴジラとコングが戦う」という一点にのみ、観客の集中力が収束し続けるように作られています。それだけに、これはやはり映画館で見ないとだめです。映像環境というよりサウンド環境がモノを言う作品ですので、「広い空間で、けたたましく音声が行き交う」というような状況で見るべき最たる映画です。まだ見てない方はぜひ映画館で見ましょう。
以下ネタバレを含む感想です。
サムネは公式サイト(https://godzilla-movie.jp/gvsk/about/introduction.html)より引用。

怒鳴り合い

まずこの映画のキーとなるシーンは、主役2体の怒鳴り合いです。一方が雄叫びを上げ、もう一方が雄叫びを上げる。これが何度となく繰り返されます。”実際に殴り合っているシーン”よりも、”叫び合っているシーン”のほうが多いくらいです。(感覚的には『アウトレイジ ビヨンド』なんかに近いかもしれません。)

そしてこれが、この映画は映画館で見たほうがいい最大の理由です。映画館でないと、この両者の雄叫びを大気振動として体感することは難しいでしょう。また馬鹿でかい怒鳴り声だけではなく、特にコングの呼吸音というか息遣い(鼻息)や体躯の震えなどもきちんと差別化された音声・振動として体験でき、あらためて映画館という空間の価値を味わうことができる映画になっています。

・怒鳴り合いという絵面の面白さ
2体の怒鳴り合いは、視覚的にも(絵的にも)面白いです。というのも、この2体、結構顔が似ているんです。顔というか、鼻周りというか、いわゆるTゾーンということなのかもしれませんが、わりと似ています。遠目で見てもまったく似てないのですが、お互いがお互いに怒鳴り合っている顔をアップで交互に見せられると、”似てくる”と言うべきなのかもしれません。
この怒鳴り合いが演じられるたびに、「そういえばゴジラって”ゴリラ+クジラ”だったな…」と、思い出させてくれます。もちろん、元祖”でかいゴリラ”と言えば『キングコング』(1933年)であり、今更ながらここまで美麗なCGで精彩に描かれた2体が至近距離で怒鳴り合っているという状況そのものの素晴らしさが、スクリーンから溢れてきます。いやスクリーンからというより、主に両者の顔(鼻周り)から溢れてきます。
だからと言って決して両者が同じ顔をしているわけではなく、ゴジラの黒い体表の凹凸(鱗?)一つひとつで微細に輝くエッジの効いた反射光と、コングのラバー状の皮膚とごわついた体毛とのコントラストを強調しながら広がる反射光とが、うまく2体の差異を引き立て合っており、ライティングの妙を味わうことができます。
近い起源性(物語設定上ではなく、”馬鹿でかいゴリラ”というイメージとしての)を持っているにも関わらず、最早決して混じり合うことがない両者のぶつかり合い。この意味性が、殴り合うシーンではなく、上記のような”交互に顔のアップを映す”という単純なカッティングによって伝わってくるのは非常に新鮮な体験ですので、この点を楽しむためにも、やはりスクリーンで見るほうがいいでしょう。

チープかつ潔い人間ドラマ

人間たちのドラマはと言うと、こちらはお決まり展開に徹することで、2体が戦う理由や状況付けを巧いこと牽引してくれており、”怪獣映画における人間たちの正しいポジション”を、1つ例示してくれていると言えます。
怪獣を利用しようとする悪の組織、その悪事を暴こうとする青年団(というかオタクとYoutuber)、悪役に利用されつつも最後は自己判断で正義をなす主人公チーム、コングと心を通わせる少女…と、必要なキャラクターを必要な場所に配し、必要なだけ動かすということが貫徹されています。そうそう、悪側のボスのいけ好かない娘キャラも、物語上の役割を果たしたらあっさりとコングに握りつぶされて退場してくれる点にも、非常に好感が持てました。
まるで「人間ドラマはこのくらいにしておきますね」というメッセージが、キャラクターたちのあらゆるやり取りから滲み出てきているようで、そういう意味でも、とても安心して見られる怪獣映画です。ヘンなラブロマンス要素も当然0です。ヘンな日本人要素はありますが、それはそれでお決まりと言えばお決まりなので、特に気にならないでしょう。

もちろん物語上やるべきこと、すなわち、「ゴジラとコングをうまく戦わせ、そしていい感じに引き分けにする」ということには、全員が全力で臨んでいます。この映画はとにかく、ゴジラとコングの戦いに観客の体力が吸われるので、余計なことは一切せず、観客を極力疲れさせずに物語を展開させていくという仕事が徹底されているわけです。最低限の仕事で、素材の味を引き出す、というような高等な調理技術にも近い、一種の潔さを放っています。

だからといって、一切何の工夫もなく、退屈な人間劇だけ見せられても、それはそれで観客側の負担となってしまうでしょう。そこで登場するのがアイツというわけです。人間劇は大きくYoutuberチーム(地上)と主人公チーム(地底世界)の視点に分かれて展開されますが、両者が収束する1点がこれでした。

メカゴジラ

終盤、ゴジラとコングの戦いに一区切りつけ、「あれ?引き分けじゃないんだ…」と思わせておいて、(山を内側から破壊しながら!)メカゴジラをけたたましく舞台上に登場させるという、粋な演出が図られています。
つまるところ、このド派手なメカゴジラの登場は、「ゴジラとコングが共闘してメカゴジラを倒し、2体の勝負はお預けになります」という先の展開を、一瞬で私たち観客に伝達するものです。言ってみれば、まったく予想通りな展開があらためて提示されているだけなわけなのですが、しかしなかなかどうして、メカゴジラ登場シークエンスでの間の取り方や、赤い熱線を吐きまくって登場するそのハチャメチャさが相まって、すさまじく爽快な提示になっています。「ああ…やっぽりね…」ではなく「やっぱな!そう来ると思ったわ!!」という感じです。

制作側の仕事としては、これはおそらく歌舞伎とかオペラとか、そういう伝統芸能に近いものでしょう。「観客全員がこの先どんな展開が起きるのかわかっている」という状況において、その予想や期待を決して裏切らずに、かつ最高に興奮させるという、とても高度な脚本力・演出力が活きています。

また「メカゴジラが、ギドラの頭部(脳?)からの遠隔操作によって動く」というアイデアも、今作のスタンスにうまくはまっており、とても魅力的です。地上と地底とで展開された人間劇は結局のところ、この「ギドラがメカゴジラを操作する」という状況を整えるためのもので、それが完了したら案の定、メカゴジラ(ギドラ)自身によって悪側のボスは速攻で葬られてしまいます。当然私たちはこれ以降、「ギドラ=メカゴジラ」vs「ゴジラandコング」という怪獣タッグマッチを心置きなく楽しめるわけです。
もちろん前回を見ていれば、「メカゴジラとして復活したギドラによる、ゴジラへの復讐劇」という構図が直感的に把握できるので、なおさらこのシークエンスは燃えます。メカゴジラがゴジラの口の中へ熱線を放とうとするカットなどで(前作でゴジラがギドラを倒すときに同等の行為を"裏側から"行いました)、ギドラの執念や怨念の深さもきっちり描かれており、回転する手や各所から飛び出すミサイルなどのトレードマーク的なアクションも含めて、メカゴジラの一挙手一投足が非常にチャーミングに映ります。
欲を言えば、ゴジラ側も「メカゴジラの皮を被っているのがギドラである」ことに気づく演出が欲しかったですが、それをやるとコングが仲間外れになってしまうので悩ましいところです。まあメカゴジラは破壊されましたが、ギドラの首はまだ残っているでしょうから、そういう展開はまた次回以降にとってあるのかもしれません。今回の主題はあくまでゴジラとコングの関係ということでしょうね。

とにかく、このメカゴジラという一種の媒体を用いることで、ゴジラとコングとが互いを認め合ったかのようにして別れていく、という(予想通りの)展開が、これ以上ないくらいうまく進行されており、そのメカゴジラの起動に人間劇の収束点の1つがあることもまた、本作の高い物語設計力を示す証と言えるでしょう。

全然飽きない理由:コング側の戦術が明確

本作は、バトルがいくら続いてもまったく飽きません。この理由はまず、ゴジラの持つコングに対する強みが明確であること、そして、「そんなゴジラに勝つためにはどうしたらよいのか?」という、要するに”対ゴジラ攻略法”を、コング側がしっかりと立てているからです。チートなゴジラに対して、コングが明確な攻略法を実践しつつ果敢に挑んでいく、という演出スタイルのおかげで、肉弾戦の連続を一種知的な緊張感が強力に牽引していってくれているのです。

・ヤツにアレを撃たせるな!
ゴジラに対して、コングは明らかにスペック上劣勢なのですが、その一番の理由は当然熱線です。コングは樹木から即席の槍を作り出して投擲するくらいはできますが、雷を放ったりはできず(もちろんこれは制作上正しい判断です)、遠距離では一方的に熱線で焼かれるだけになります。そのため、「とにかく巧く接近して、熱線の射程から逃れやすいポジションを取りつつ、可能な限り放射自体を防ぐ」というのがコングの基本戦術となります。
最初の海戦で、ゴジラの熱線のヤバさを目の当たりにした後、コングは明確に上記の基本戦術を軸として立ち回っており、まるで高難易度のアクションゲームをプレイしているような興奮すら感じます。

・武器と知略
とは言っても、「ゴジラに熱線を撃たせない」というのは負けないための戦術であり、勝つためのものではありません。そこでコングが持ち出すのが武具です。ゴジラを倒せるのはゴジラだけということで、伝家の宝刀”背ビレハンドアクス”を片手に挑む雄姿は必見です。さらに、この斧の力をゴジラに認識させた後で、今度はこれをゴジラの頭上へフェイントとして投げつけ、本命のタックルでぶつかっていくシーンなどは、もう素晴らしいの一言。
そして「この武器が手から離れたら一気に逃げに転じる」というのも戦術として正しいこともさることながら、その一目散な逃げっぷりには、最早愛らしさすら憶えます。もちろん、機を見てこの斧を取り戻して反撃に向かうことで、バトルシークエンス全体の中で良いリズムが生まれています。

さて個人的にこの映画で一番好きシークエンスは、海戦の最後で決行された”死んだふり作戦”です。最初は「いやそんな、熊じゃねえんだから」と思って見ていましたが、”電源の落ちた艦隊の様子から、人間たちの機転を瞬時に理解する”という、コングの知能の高さが光るシーンとなっており、けっこう惹き込まれてしまいました。そして何と言っても、炎に包まれた海へとゴジラが悠々と消えていく中、その後ろ姿を黙って見送っているコングは必見です。このときのコングは、不本意でありながら安堵感も漂わせ、そして消尽しつつも来るべきリベンジに燃えているかのような、至高の表情を見せてくれており、咆哮と打撃音に満ちた今作の中で、静けさが意味を持つ名シーンを成立させています。
まあリベンジマッチでも結局コングは負けちゃうわけですが、しかし今度はどんなに踏んづけられても死んだふりなど一切しません。そうしてゴジラの雄叫びに雄叫びを返すことで、海戦での雪辱を自分なりに果たしている感じは、両敗北シーン間での対比として完璧に表現されていました。
その雄叫びの甲斐あって、静かに死んでいくことを許されたコングですが、なんやかんやあって復活し、うまいことゴジラのチートさの象徴である熱線と、コング自身の戦術性の象徴であるハンドアクスとをかけ合わせて、メカゴジラ=ギドラを討伐する流れになります。ちなみに、上記のコング復活シークエンスも、最低限の人間劇(主人公チーム)で成立しており、結果人間劇の方もハッピーエンドとして収束するという、まったくそつのない作りになっています。

オカルト冒険譚も楽しい

これはまあ、ついでと言えばついでなのでしょうけど、「南極の地下に巨大な空洞があり、その中には、私たちの世界とは隔絶された、怪獣たちの楽園が広がっている」という設定もいい感じです。地球空洞説や、南極には巨大なジオフロントへの入り口があるという話などは、各所で耳にするオカルト談ですし(月との関係なんかも出てくると最高ですね)、それと怪獣を合わせること自体は別段斬新というわけではありません。
しかし、今作はこの設定の活かし方、利用の仕方がとてもうまいです。そもそも地下世界自体は謎でもなんでもなく、「そういう世界があります」という明らかな事実として、人間劇の導入部(キャラクター紹介的なステップ)でテンポよく提示されます。そしてそこへ行けば(何故か・とにかく)ゴジラを倒せるテクノロジーが手に入る、という理由付けがなされ、かつそこへ行くためにはコングを人間側に協力させる必要がある、という流れで、どんどんゴジラ(を倒すこと)とコングとが、この地下世界への道程に引き寄せられていきます。

その道中でゴジラとコングは実際にぶつかり合い、単に人間たちのセリフで説明されていた歴代「ゴジラvsコング」の伝承は、「この時代の、ゴジラvsコング」という個体同士の直接的な関係として、これでもかと現実化されます。さらに、「コングが人間に利用されている」という状況も、地下世界に着いてほとんど解除され、それと同期してコングは、地下世界で栄えていた同族の遺跡から”伝説の武器” (背ビレアクス)を入手することで、着々と「ゴジラと、しがらみなく、対等に近い力関係で、ぶつかり合える条件」がそろっていきます。このプロセスを一種の神話的な冒険譚のように設計しつつ、そのゴールにギドラ(メカゴジラ)覚醒へのスイッチを用意しておくという、慎重に練られたプロットによって、私たちもいい意味で気を抜いて見ていられるわけです。

明るくて見やすい

アホな感想ですが、率直に今回の怪獣バトルの印象を述べるとこれです。明るくて見やすいのです。夜ですら、香港のネオンを浴びて2体は鮮やかに輝き、とても見やすいです。
ギャレス版ゴジラでは、肝心の怪獣の姿はいっつも霧の中に消えていき、侘しい思いをしたものでした。満を持して公開されたキング・オブ・モンスターズでも、いっつも夜で雷が鳴っており、そして雨がザーザー降っている中でゴジラとギドラが戦うので、どうしても見づらい印象に付きまとわられて、微妙に集中できない気がしていました。
それが漸く、3作目にして、晴れ渡った真っ昼間に、ゴジラとコング、そしてメカゴジラが、ビームやらミサイルやらドリルやら斧やら尻尾やらを振り回しながら暴れ回ってくれました。繰り返しになりますが、本作は夜ですら明るくて見やすくなっており、いやそれどころか、海中のシーンすらも見やすく作られており、天候や時間の変化が”怪獣の絵”を邪魔しない舞台演出として実現され切っています。個人的にはこの点が一番心に響いたかもしれません…。

おわりに

「ゴジラ作品を見る」→「え?これゴジラなの…?という微妙な感想を憶える」という流れが、観客側での様式美にすらなりつつある昨今、はっきりと「”ゴジラvsコング”というものを見た」と自覚させてくれる、貴重な映画です。(私はシンゴジラも映画としてはかなり好きですが、”使途退治感”が強すぎていまいちゴジラ映画として楽しめませんでした。)

そして映画館という空間性を、ゴジラとコングが最大限に引き出して魅せつけてくれている、という映画です。加えて、ゴジラとコング以外の要素が無駄なく引き立て役に徹している、という点も、一種の職人芸のように光っており、それはそれで魅力的です。総じて、ぜひもう一度映画館で味わいたいと思わせてくれる快作だと思います。

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