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彼らの歌、彼らの時代

10代の頃から兄の影響で洋楽ばかり聴くようになった。

邦楽を聴く人が多い同級生の中でちょっと違うことをしてカッコつけたい。そんな、ただの中二病みたいなものだったと思う。

でも好きだったのは確かで、以来ずっと洋楽ばかり聴いている。邦楽も嫌いじゃないし、コンサートに通うほど好きだった日本人アーティストもいたのだけれど、結局洋楽に戻ってしまった。

イヤホンで耳そばで聞くときに、どうしても「理解できない言葉」のほうが純粋にリズムを感じることができて、楽しい気がする。

ヒアリングが苦手で良かった。

10代の頃は、ベリンダ・カーライル、ビリー・ジョエルといった80~90年代ポップスが好きだった。ここ10年ぐらいは、Cold Play、Maroon5、Avicii、GreenDayなどが多い。古い洋楽を聴くこともある。要はわかりやすい音楽が好きなんですね、ということなのだ。

たまたま夫も同じ趣味嗜好で、それは助かっている。

そんな元中二病の洋楽好きの夫婦が、先日たまたまテレビを見ていたとき、「このフレーズ聞いたことあるね」というメロディーを耳にした。

「誰だっけねー、何か聞いたことあるような」
と話していたが、耳にしたことのある洋楽は無数にあるから、その時はわからなかった。



後で気づいた。

何のことはない、SMAPの「青いイナズマ」のイントロによく似ていたのだった。洋楽と思ったらまったくの勘違いだった。

そして久しぶりに「青いイナズマ」を聴いてみた。
なんだ、そらで歌えるぞ。

深夜に1人で、SMAPの曲を次々と再生してみた。
ダイナマイト、俺たちに明日はある、SHAKE、ライオンはーと・・・

ヤバい。どれもこれもわかる。

邦楽に詳しくないはずなのに、SMAPの歌は覚えている。細かい歌詞や間奏まで。

ああ、そうか、わたし、SMAPのことが大好きだったんだ。
あまりにあの頃、当たり前にそばにいたから、気付かなかった。

主人もわたしも、中居正広や木村拓哉と同い年だ。SMAPのメンバーが出るドラマはよく見ていたし、「SMAP×SMAP」を見てはゲラゲラ笑っていた。



一番彼らを熱心に見ていたのは90年代終わり頃だったかもしれない。

20代後半のわたしは、結婚もしていないし、する予定もないし、仕事も中途半端で、かっこいいロフトはついているが隣の声が聞こえるような薄っぺらい壁のアパートに住んでいた。

何者にもなれなくて、孤独で、貧乏で、楽しくて、自由だった。

おかしいな、大学に入るときまでは順風満帆だったのにな。

そんな気持ちが時々よぎっては、胸をチクリと刺していた。

〇〇先生のお孫さんですねと声をかけられ、学校の制服を見ると「優秀ですね」と驚かれ、いつもタクシーで外出し、デパートで外商サービスを使って、ホテルで食事が当たり前で・・・・。

今思えば夢のような暮らし。その延長に人生があると、今思うと本当に馬鹿みたいだが、人生を甘く、甘く、見積もっていた。

そして大学に入ったその年に、世の中を知らない学生たちがバカ騒ぎをしている間に、バブルは弾けていた。

甘い見積もりは、大きくとん挫した。

それでも周りは手堅く進路を決めていく中、なりたい職業も、謙虚に働く姿勢もなかったわたしは就職先もなく、ようやく拾われるように入った渋谷の小さい会社。

初任給の額は忘れもしない。寮費などのぞいてではあったが、手取り13万円だった。

それでも「ここを辞めたら食べていけない」と続けた開発職は多忙で、おまけにわたしは相当出来の悪い社員で、バグばかり出すので有名だった。あの頃は、どうしたら自分の本来の価値を認めてもらえるか、自分の生きる道はどこにあるのか、といったことばかり考えていた気がする。

そんな時、SMAPは、いつもそばにいた。
テレビをつければ、そこにいた。



木村拓哉が演じる主人公は、強烈にルックスはいいけれど、普通の学生だったり、渋谷で終電を逃すサラリーマンだったり、ドロップアウトした青年だった。

それは、かつて80年代トレンディドラマで観た、タクシーに颯爽と乗り込むような、非現実的に華やかな男性たちとは違って見えた。

時代は不景気だった。

もちろん、(私なんかが言うまでもなく)、一人一人の活躍が凄まじかった。

それぞれが自分の個性を見つけて輝こうとするグループのありよう。そして、アイドルでもなんでもするんだという根性。でもカッコよさは失わないぞという矜持。

司会者の地位を確立した中居正広には、今更ながら一番驚いてしまう。あらためて昔の映像を見ると、女の子のようなあどけない顔と華奢な姿からは、今の雰囲気は想像できない。いつも色んなことを考えてしまう人なのかなと勝手に想像する。

漠然とした不安のある世界。そこに居所を見つけて輝く彼らに、就職氷河期と言われた自分を勝手に重ね、親近感を持って見ていたのかもしれない。



そして彼らの歌。

どことなく哀しみや切なさがある気がする、彼らの歌。
それでいて、垢ぬけたセンスを感じる歌。

非現実的にキラキラしてはいないけれど、必要以上に泥臭くもなく、スマートでもあった。

若いアイドルの名前は覚えられない、高齢の実家の母も叔母も、全員間違えずにいえる人たちがSMAPだった。叔母は、紅白のたびに「カッコよかー」といい、「最後にお辞儀するのがまたよかもんね」と言っていた。

彼らが空中分解したときに、わたしは大切な何かを失ったようだ。



ちなみに今でも個人的に一番好きな歌は「夜空ノムコウ」だ。

あの頃の未来に僕らは立っているのかなあ
すべては思うほどうまくはいかないみたいだ


「このくだりを聴くと、切なくて悲しくなるよ」
と言うと、夫は
「そう?俺は一番絶好調な時期だったから明るい気持ちになるけどね」
と言う。

どうして同じ時代を過ごしてきたのに、ここまで感じ方が違うのか。

ああ、そうか、最後にこう言うものね。

夜空の向こうには
もう明日が待っている


薄い壁のアパートに住んでいたわたしの家は小さいながら一軒家となり、当時喧嘩ばかりしていた彼氏と結婚し、給料もだいぶ上がり、仕事でもそれなりに周囲に重く扱ってもらえるようになった。

何者にもなっていないが、見えるものも見えないものも含めて、圧倒的に持ち物は増えた。

でもかわりに白髪がちらほらと目立ち、体力はなくなった。持ち物は増えた分、色んな別のところが重たくなった。

SMAPの曲を聴くと、あの頃に戻る。
寂しいけどすべてが軽やかだったあの頃へ。
はしごを外された世代と言われながら、まだ若さという宝物を持っていたあの頃へ。

若かった私たちは確かにあの場所にいて、泣いて、笑っていたな、懸命に生きていたなと、思うだけである。

SMAPの歌、SMAPの時代。
それは確実にあった。




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