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顔を知らない父、そして夫の前で泣く私

わたしには父親がいない。

父親がいない人なんていくらでもいると思うが、自分にとっては人生に非常な影響を与えているなあと感じることなので、書いてみようと思う。

父と母は3歳の時に離婚した。離婚の原因はわからない。多分経済的な事だったと思われるが、さだかではない。

父、母、10歳上の兄、わたしは埼玉で暮らしていた。私が3歳になった時、突然両親は別れ、熊本に引っ越すことになった。

生活は一変した。

母の実家は当時生活が豊かで、いつも華やかなものが周りにあって、明るい家庭だった。熊本の夏の太陽そのままに。

それまでの静かでちょっと暗かった埼玉の家とは少し違うなあと、3歳でも気づくのだから、子供の感受性とは恐ろしい。

父のことは誰も口にしなかった。噂話も悪口さえ聞かず、父は私の人生から突然消えた。写真も見たことがなかった。今も父の話はタブーとなっている。わかるのは名前だけだ。

たった1回だけ、祖父の実家の唐津に行ったときに、親戚の家で両親の結婚式の写真を見せてもらったことがある。初めて見た父の顔だった。確か当時私は中学生か高校生で、ドギマギと緊張しながらその写真を見たが、知らない男の人の顔を見ても何の感情も湧きおこらない。とても不思議な感覚だった。母は私に父の写真を見せるのをとても嫌がった。

あの時、父の写真をくださいと、なぜ親戚に言わなかったのだろう。今なおちょっと後悔が残る。

「最初からいないこと」が当たり前である人について、寂しいとか辛いとかは思わないものだ。

「お父さんがいなくても何も変わらない」「祖父母も叔母も母もいるから寂しくない。幸せだ。」と思っていたし、なんならそのことを文章にして、学校でスピーチしたことがある。賞をもらって私は得意だった。今思うと少し恥ずかしい。覚えている人がいたら忘れてほしいぐらいだ。それくらい自分の感覚に無知だった。

「なんともないさ」という感覚は、熊本を離れ、大人になるにつれて、だんだん、だんだん、失われていった。

それは父親と娘という存在を意識するようになってからだ。

一番つらかったのは、友人や先輩、後輩の結婚式に出たときだった。彼女たちの父親は既に亡くなっている人もいたし、存命の人もいた。しかしそこにあったのは「娘に対して父親だけが持てる愛」だった。

その愛に私はやられた。

夫の後輩の奥さんがとても綺麗で、きっと自慢の娘で、お父さんが号泣して真っ赤になっていた。思わず笑ってしまうほど。

でもそのお父さんの顔を見て笑いながら、もらい泣きしながら、「ああ、なんてこの女性はうらやましい人なんだろう」と思った。「しょうがないなあ、お父さんは」と苦笑いするこの女性は、なんて幸せな人なんだろうと。


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父は、離婚直後に熊本の母の実家を訪ねてきたことがある。何を話したのかはわからない。「決して出て行ってはならない」と祖母に言われ、幼いわたしは物陰で息をひそめていた。

その後父のことを知ったのは、わたしが会社に入って何年もたってからだ。いきなり簡易裁判所から父の死亡通知と、それに伴う相続放棄の依頼が来たのだ。父に新しい家族がいることをそれで知った。

その時の気持ちは、ショックという言葉では伝えられない。何か落とし穴に落ちたような、不思議な絶望感だった。

ああ、一度も会わないまま亡くなってしまった。

いつか探しに行くとか、探してくれるとか、漠然と期待していた自分がいたからだ。それがたった一枚の事務的な紙切れで幕切れとなった。

こんなわたしでも、数年前に数少ない父の思い出がよみがえり、別のブログに書いたことがある。これすら本当の記憶かはわからない。でも数少ない私への父の愛を確認するため、時々掬い取るように、自分で読み返してしまう。

父と母が別れたこと、父と暮らせなかったことは、ちっとも悲しくない。

でも父が会いに来てくれなかったことは今でも悲しい。
この悲しい気持ちに蓋をしちゃいけないんだと、ようやく今感じている。

わたしはこの気持ちが重たすぎて、直接は誰にも話せない。夫にだけ話す。
話しているうちに号泣している自分がいる。

小さな女の子になって泣きじゃくり、
「なんで、なんで、会いに来てくれなかったの。会いたくなかったの。なんで、なんで・・・」
と夫の前で泣く。
夫は困った顔でいつも背中を撫でてくれる。

私は付き合う人にはいつもワガママで、言いたい放題、無理難題を押し付けるほうだった。そのせいでうまくいかなくなることもあった。多分それは、「ゆるがない愛を与えてくれる異性」を父に代わって私に与えてほしいと、望んでいたのかもしれない。

きっと夫に対しても私はそうだったが、彼は思うようにならない人だった。自分の主張もちゃんとする人だった。その一方でわたしのすべてを引き受けてくれる度量があった。彼の家族に会って分かった。彼は父、母、妹にものすごく愛された人だった。彼は自分の人生に信頼を持っていたから、他人を支えられるのだ。

それはいびつな関係なのかもしれない。もしかしたら子供を持ちたいと思えなかったのは、わたし自身がいつまでも娘でいたかったからかもしれない。夫と私の間に誰かもう一人いるという状態は、どうしても想像ができなかったのは事実だ。

会社の近くに保育園がある。

若いパパが子供を自転車に乗せてきて、泣いてる子を叱ったり慰めたりしてたり、笑いながら歌を歌ったりするのを見ると、今でも切ない。ママと子供なら1つの景色としてスルーできるのに、パパが登場する光景はスルーできず、胸の奥がキュンとなってしまう。

こんなわたしといるのは大変だろうなと思うけど、無理な時は無理だと言う人だから、逆に安心して泣いていられるのかもしれない。

わたしにこの人を送ってくれて、神様、ありがとう。


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