文字を持たなかった昭和 六十二(節句飾り)

 ミヨ子と二夫(つぎお)が、待望の長男・和明(わたしの兄)のために整えた鯉のぼりについて書いたあと、鯉のぼり以外にも和明へのお祝いの品があったような気がしてきた。

 武者人形の類ではないことは確かだ。あんな堂々としたお人形は家にはなかった。高度経済成長の軌道に乗り、様々なお祝いが派手に、商業主義的になり、地域差もどんどんなくなっていく中で、ミヨ子たちが住む鹿児島の農村地帯地域でも、男の子の初節句に武者人形を飾ったり贈ったりするようになっていったが、よその家で武者人形を初めて見た子供のわたしは「男の子にお人形?」と訝しんだことを覚えている。

 おぼろな記憶をたぐり寄せると、家にあったのは「破魔弓」だったのではないか。鹿児島弁風の「はまゆん(はまゆみ)」「はまんゆん(はまのゆみ)」という言い方も耳に残っている。

 そう思ってネットで「破魔弓」の画像を見てみたが、どれも立派で、とても自分の記憶と結びつかない。画面上の破魔弓はガラスケースに収められているが、昭和30年代後半、ガラスケースの飾り物などほとんどなかったか、あっても高価で庶民のお祝いで贈ったりすることはなかっただろう。

 念のため破魔弓の由来を確認すると、女児の羽子板と同様、お正月に男児に贈るものらしい。ネット上でも人形メーカーが羽子板と並べている。となると、おぼろに覚えている破魔弓は正月に誰かから贈られたのだろうか。

 ハマは神占に起源があり、藁などを丸く形作った「破魔」を射抜くのが破魔矢で、矢を引くのが破魔弓だそうな。子供に破魔弓を用意したり贈ったりすることは魔除け、つまり子供の健やかな成長を祈ったものだった。

《主な参考》
人形の東玉>破魔弓の意味は「魔除けと厄祓いのお守り」その歴史と由来

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