文字を持たなかった昭和 十一(生まれ在所)

 母ミヨ子の生い立ちやエピソードを続けているが、家庭をとりまいていた環境についても書いておいたほうが、イメージしていただきやすいかもしれない。

 「四(誕生)」でふれたように、ミヨ子は鹿児島で農家の長女として生まれた。西側に東シナ海を臨む小さな町の、農村地帯のほうだった。第一次産業が中心の時代、町の海側は漁業、山間部は林業、平地から山間部の一部は農業を営むという、当時としては平均的な自治体だったのではないだろうか。町の中心部には街道沿いに栄えたあとがあり商家も多くあったが、ミヨ子たちの集落からは遠く、まして徒歩が移動手段の中心だった当時は、商業地区との往来はなくその必要もなかっただろう。

 町は大小の集落に分かれており、ミヨ子が育ったのは、徒歩で一回りするのに子供の足でも1時間はかからないこぢんまりした集落だった。田んぼや畑を取り囲むように数十軒の民家が点在し、そのほとんどが農家で、子だくさんの大家族だった。それぞれの家の田んぼや畑は家の敷地やその徒歩圏内にあった。近くの山から流れ込んだ水が小川となって集落を横切っていた。小川からは周りの田んぼの用水路へ水を引いたし、女たちの洗濯場もあった。浅いところは子供たちの遊び場にもなった。小川は下流で大きな川に合流し海へ流れ込んだ。

 集落から海までは歩いても行ける距離だが、海に行く用事などないし、まして遊びに行く時間もなかった。集落の後背地には低い山が連なり、山のほうにはまたいくつもの別の集落があった。集落の外れには鉄道(鹿児島本線)が通っていたから、ものすごく辺鄙な田舎というわけでもなかった。ただし駅までは大人の足でも30分近くかかった。

 住人のだれもが顔見知りの小さな集落は、昔話に出てくるのどかな村を思わせた。

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