文字を持たなかった昭和 二百七十五(バレンタインデー)

 昭和中期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)を中心に庶民の暮らしぶりを書いている。2週間ばかり中断してしまったが、引き続きミヨ子さんの来し方やエピソードを追っていこう。

 本日2月14日はバレンタインデー。もうクリスマス並みに定着したこの習慣は、いつ頃から日本人の生活に入ってきたのか。物の本ならぬネットによれば、1960年代からチョコレートメーカーの戦略と宣伝によって広まったというが、二三四(わたし)がほんの子供だった1970年頃までは、少なくとも鹿児島の農村で、2月14日にチョコレートを女性から男性へ贈る習慣はなかった。

 二三四がわがこととしてその日を意識しだすのは、中学生になった1970年代の半ば以降。ミヨ子さんたちの年代がバレンタインデーという名称や、世間では何をしているかを知ったのはもう少しあとではないだろうか。

 ミヨ子さんが「わがこと」としてバレンタインデーを捉え始めたのがいつだったのかはわからない。二三四が大人になって――大学進学後か、就職してからかは忘れた――、たまたまバレンタインデーの頃に帰省した際、仏壇にチョコレートがお供えしてあるのに気づいた。赤い箱の、ロッテガーナチョコレートだ。

 地域の他のお宅同様、わが家ではいただきものはまず仏壇へお供えする習慣があったから、そのチョコレートもいただきたものだと思っていたら、夕食前、一日の平安をご先祖に感謝するお祈りを終えたミヨ子さんが、そのチョコレートを「下げて」きた。そして
「父ちゃん、今日はバレンタインデーらしいから」
と、夫の二夫さん(父)にそれを渡したのだった。

「お母さん、バレンタインデーを知ってるの!?」
驚いた二三四が声を上げると、ミヨ子さんは
「お父さんだけね。そのへんで売ってるチョコだけど」
と言い訳っぽく説明した。恥ずかしそうな表情からは二夫さんへの愛情が透けて見えて、わが親ながら微笑ましく、ほんの少し妬ましくもあった。

 この日がもともとはキリスト教の聖人にちなみ、男女で愛を告白する日であることを、ミヨ子さんは知る由もなかっただろう。世間では女性が好きな男性にチョコレートを贈る日らしいことは、人づてやテレビなどで知ったのだろうが、すでに50代だったミヨ子さんが自分でそれを実行する気になった動機はなんだったのか。たんに「他の家の奥さんもやっているから」だけではなかったはずだ。

 ミヨ子さんが自分の気持ちを外に出すことは少なかった。いつも控えめで、座の末席でにこにこしているばかり、自分の意見は言わない、というよりそもそも自分の考えなど持っていないようにさえ見えた。でもこんなふうに「父ちゃんを大事に思っているよ」と伝えることもあると知って、新鮮な驚きと一種の喜び、そして小さな安堵を覚えた。

 いまもバレンタインデーのチョコレートが売場に並ぶ季節が来るたびに、仏壇にお供えしてあった赤いガーナチョコレートを思い出す。

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