文字を持たなかった昭和 六十四(丈夫というわけでは…)
ミヨ子と二夫(つぎお)が昭和35(1960)年に授かった長男・和明(わたしの兄)は、たまに病院にかかることはあっても元気に育っていった。成長過程でのわんぱくぶりについては後日にゆずるとして。
ミヨ子はといえば、わが子の成長を楽しみにしながら、出産前と同様家事や農作業に勤しんでいた。当然ながら、育児が加わったことで日常の忙しさには磨きがかかった。それをこなすためには相応の体力も必要だった。
だが、ミヨ子はものすごく丈夫というわけではなかったようだ。若い頃の紡績工場勤めで罹った結核が、治ってはいたものの何らかの影響を残していたのかもしれないし、最初の子供を死産で亡くしたことが身体に響いていたのかもしれない。ふとしたきっかけで寝込むことがあったのだ。
わたしが子供のころ――幼稚園に上がっていたかどうか――、ミヨ子は鼻血が止まらなくなり、何日も寝ていたことがあった。ティッシュペーパーがまだ市場に出回っていない当時、「チリ紙」を枕元に置いて。チリ紙は、鼻血が出るたびに真っ赤に染まり、子供心に怖くなったことを覚えている。
あとになって本人が漏らしたのだが、このとき大量の鼻血が出てから、鼻が利かなくなったという。鼻血が出過ぎて嗅覚細胞が壊れたのだろうか。家の中などで何かの匂いがするときに――いい匂いも嫌な臭いも――ミヨ子だけが気付いていないことがあり不思議に思ったものだが、あとから「そういうことか」と合点がいった。ちなみに、嗅覚と味覚は密接に結びついており、食べ物を味わう際はその匂いを感じることから始まるのだという。その観点で考えてみると、ミヨ子は「味音痴」に近かったと思う〈68〉。
鼻血以外の病気といえば、腎盂炎に罹ったことがあるそうだ。腎盂は腎臓の内側の尿が溜まる部分で、尿道から細菌が入って起こることが多い病気だ(腎盂腎炎ともいう)。尿路感染症がもっと内側で起こった分深刻、とも言える。ミヨ子が腎盂炎に罹ったときは高熱が出て、やはり何日も寝込んだらしい。おおよそいろいろな炎症は、細菌の働きに免疫が勝てなかったときに起こるが、疲れや栄養不良などで免疫力が落ちているときも起こりやすい。そう考えると、ミヨ子は体に負担の大きい生活をしていたのかもしれない。
〈68〉ミヨ子の味音痴については改めて書きたい。