二三四
文字を持たなかった昭和 五十(機械化)

文字を持たなかった昭和 五十(機械化)

二三四

 ミヨ子(後のわたしの母)たちのミカン山の開墾が進む頃、昭和30年代前半。人が通れる程度だった道以外に、山にはもっと幅の広い道ができた。同じ山の別々の部分を所有する人たちが共同で道を広げたのだ。

 時代は徐々にモータリゼーションに向かいつつあった。農作業も、人力や畜力から機械による動力の利用が広がろうとしていた。より効率よい作業や大量の運搬のために、幅の広い道が必要になったのだ。ミヨ子の嫁ぎ先でも機械の購入を検討した。家族の負担を減らし、拡げつつある経営範囲をカバーできるよう機械を導入するのは、正しいことに思えた。農協でも、労力軽減と耕作の拡大のための耕運機の利用を提唱した。

 何人もで鍬を持って耕していた作業を耕運機なら一人でできるし、荷台を連結すればたくさんの資材や収穫物を運搬できる。舅の吉太郎たちが隠居し、いずれ生まれてくるであろう子供たちが農作業を手伝えるくらいに大きくなるまで、夫の二夫(つぎお)が主な重労働を負担することを考えると、機械はやはり必要だろう。

 しかし、吉太郎は首を縦に振らなかった。これまで触れたように、徒手空拳から一代で田畑を買い広げ、広い屋敷も手に入れた吉太郎は、出費、とくに大きな支出を嫌がった。
「ずっとハル(妻)と二人でやってきた。ハルが来る前は一人で働いた。二夫も結婚して働き手は増えたのだから、高い機械を買うことはない」

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二三四
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