二三四
文字を持たなかった昭和 四十三(難産)

文字を持たなかった昭和 四十三(難産)

二三四

 昭和30(1955)年代初め、大きなお腹を抱えつつもミカン山の開墾に加わっていたミヨ子(わたしの母)は、臨月のある日破水した。子宮内の卵膜の中で胎児を包んでいるのが羊水で、本来は赤ん坊を包んだ卵膜ごと出産するはずが、何かの事情で卵膜が破れ羊水だけが先に流れ出したということだ。

 その日訪れていた実家から嫁ぎ先へ、普通に歩けば10分程度の距離ではあるがどうやって戻ったのか、緊急事態に気付いた近所の誰かが介添えしてくれたのか、それこそリヤカーか何かに乗せてもらったのか。

 妊娠が判明してから定期検診には行っていたのだろうが、病院で出産する予定はもともとなかった。産婦人科は町の北側、隣の市との境あたりにあって遠かったし、そもそも「妊娠は病気ではなく病院にかかるようなことではない」というのが、戦後しばらく経った頃でも農村ではまだ「常識」だった。

 母のハツノが呼びに行った産婆さんが、息せき切って駆けつけた。もう臨月、破水したあとは陣痛が来た。産婆さんは布団に寝かしたミヨ子に
「思い切りいきめ」
と促した。山から帰ってきた姑のハルも「がんばれ、がんばりなさい」*と声をかけ続けた。

 いきんでも、いきんでも、赤ん坊は出てこない。何時間もかかって精も魂も尽き果てそうになったとき、産婆さんが赤ん坊を引き出した。
「男の子だよ!」

*鹿児島弁:きばれー。きばらんか。

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