文字を持たなかった昭和 二百二十三(暖房その二、囲炉裏端)

 昭和30年代の鹿児島の農村。母ミヨ子が嫁いだ農家の、暖房としての囲炉裏について書いた。

 子供だった二三四(わたし)の記憶の中の囲炉裏は、明確ではないもののたしかに存在していたし、囲炉裏のある風景、囲炉裏を囲む情景もうっすらと覚えている。

 四角に切った囲炉裏のどの位置に座るかは、ほぼ決まっていた。土間の上がり框から正対し、床の間と仏壇のある奥の間を背負った位置は、一家のあるじ、舅の吉太郎。吉太郎の右手に一人息子である夫の二夫(つぎお)、そして上の孫である和明。吉太郎の左手、納戸に近い所に姑のハル。嫁であるミヨ子と下の孫の二三四は上がり框(がまち)にいちばん近い、すなわち台所からもいちばん近い一辺側だった。

 ただしこれは食事のときで、農作業の合間にちょっと上がって休むときなどは、吉太郎も上がり框に近いところに座ることもあった。

 そういうとき、ミヨ子はどこに座るか?

 答えは「休憩ぐらいでは、上がって休まない」。お茶を淹れた茶碗を家族が受け取ったら、自分はせいぜい上がり框に腰かけてお茶をすするのだ。いちいち上がっていては汚れた足を洗ったりが面倒なせいもあった。

 吉太郎はタバコが好きで、キセルに詰めた刻みタバコを悠然と吸った。囲炉裏に火が起こしてあれば、そこから火を点けた。囲炉裏端に胡坐をかいてキセルを咥える。これが二三四の中でいちばん印象に残ってる祖父・吉太郎の姿である。

 明治前半生まれで晩婚だった吉太郎は、一人息子が嫁をとり、その子供が物心をつくころには、名実ともにかなりの「おじいさん」になっていた。働き者ではあったが、農作業もできる範囲で、だっただろう。とくに冬場は、囲炉裏端で火に当たりながらタバコをくゆらすのが憩いのひとときのようだった。

 その様子をミヨ子は後年
「吉太(きった)じいさんは、囲炉裏端で『股』を炙りながらタバコを吸っておられたねえ」
と振り返ることがあった。

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