文字を持たなかった昭和 二百六十八(豚味噌)

 昭和中期の鹿児島の農村、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)を中心に庶民の暮らしぶりを書いている。冬の暮らしとして味噌の仕込みについて書いた(前編中編後編余話)。

 別の話題に移る前に「味噌」で何かなかったか、と考えたとき浮かんだのが豚味噌だ。おそらく、鹿児島県人のほぼ全員が、好きか嫌いかは別として、この「豚味噌」を食べたことがあるはずだ。そのくらいポピュラーな食品なのだ。それどころか、農水省の「うちの郷土料理」というサイトにも鹿児島の代表的料理として堂々掲載されている。

 豚味噌は、一言で言うと豚肉を使ったなめ味噌であり、保存食品でもある。ミヨ子もよく作ってくれた思い出の味でもある。

 農水省のサイトでは豚肉は三枚肉(バラ肉)を茹でてから小さく切るとしているが、作り方は各家庭で相当のバリエーションがあり、かつ、同じ家庭でもその時々で手に入るものによって材料が微妙に異なる。

 ミヨ子の基本の作り方は概ねこんな感じだった。
材料:豚ひき肉、ニンジン・シイタケなどの野菜(水分があまり多くないもの)、麦味噌、砂糖、鰹節(削ったもの)、食用油(ミヨ子は菜種油を使うことが多かった)。それぞれ目分量。
作り方:
①野菜はみじん切りにする。
②炒める鍋(フライパンなど)に油を引き、豚ひき肉炒め、色が変わってきたら野菜を入れてさらに炒め、火を弱めてしっかり火を通す。
③味噌と砂糖を加える。砂糖が溶けて味噌と混ざってきたら練るようにして水分を飛ばす。
④削った鰹節を加えて混ぜ、火を止める。

 野菜を刻む手間を除けば、作り方はさほど難しくない。あれば、味付けに酒、風味付けに生姜のみじん切りなどを入れることもあった。ミヨ子たちは、できたばかりの温かい豚味噌をメインのおかずとして食べたあと、残りは保存容器に入れて、翌日以降も佃煮代わりにご飯に添えて食べた。

 こう書くと、二三四(わたし)にとって幼少期から食べ慣れていた料理のように思われそうだが、noteに何回か書いているように、舅の吉太郎(祖父)は畜肉を好まなかったので、吉太郎の生前は、飼っている鶏を潰すか、よそで潰した鶏肉のお裾分けをいただくとき以外、肉類を食べる機会はほとんどなく、豚味噌も作らなかったはずだ。

 それでも豚味噌の記憶が鮮明なのは、吉太郎の没後よく作るようになったからだろう。もしかすると、農協の婦人部の生活改善運動の一環として、栄養状態の向上のために、肉類を入れた料理が奨励されたのかもしれない。それ以前は鶏以外の肉を料理の材料にする習慣自体が、地域になかったのだから。

 ともあれ、二三四たち家族にとって豚味噌はなじみの料理になった。中学の部活や、高校進学後のお弁当のおかずが足りないときは、すみっこに豚味噌が押し込まれていることもあった。ただ、冷めた豚の脂はしつこくていまひとつだった。豚味噌自体相当量の砂糖が入っており、もともと甘い鹿児島の料理のなかでもかなり甘い部類に入ることも、弁当のおかずとしてはいまいち感を高めた。もちろん、だからと言って残すことはなかったが。

 家庭の味だった豚味噌は、いまや保存食品としていろいろな製造元から売り出されて、おみやげとしても人気が高い。いまだに(?)甘いので、県外の方のお口に合うかどうか若干心配だが、東京でも鹿児島料理のお店には必ずあるし、キュウリやキャベツなどとともに供されるものを野菜ににつければさっぱり食べられて、悪くない。

 個人的には、郷里にある県立市来農芸高校の生徒たちが製造販売している豚味噌(最近瓶詰になった)が、母親の味にいちばん近い気がしている。父の母校でもあり、単に思い入れのせいかもしれない。

《参考》
農林水産省>うちの郷土料理>鹿児島県 豚味噌


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