昭和の?アドバイス「受け入れちゃいなさい」補足

 前項、昭和の?アドバイス「受け入れちゃいなさい」では、今春(2024年4月)放映が始まったNHKの朝ドラ『虎に翼』のワンシーンについて感じたことを書いた。そのセリフが「受け入れちゃいなさい」だ。

 場面では、結婚やお見合いに心が動かないと愚痴るヒロインに、ヒロインの親友宅の女中さんがそう語り掛けるのだが、そのひとつ前に
「女は、男みたいに好き勝手にはいかないからね」
と呟いている。

 なにごとも二項対立というか色分けをはっきりさせれば理解しやすいし、ドラマの場合ならストーリー展開しやすいのもわかる。ことに「女性の一代記」を描くことの多いNHKの朝ドラでは、おそらくこれまでも数多く使われてきた手法で、男と女の違い、とくに女性側の不利益をさりげなく、あるいは明確に強調することは、今後の展開にも効果をもたらすだろう。

 しかし、いかに封建時代の意識や習俗が残っていた時代とは言え、男性だから好き勝手にできたわけではない。いや、封建時代を引きずっていたからこそ、男性には「男として」家を背負い女性や子供、老人を守ること、外にあっては組織の一員として役割を果たすことが一生求められた。その意味では、自分の役割を「受け入れる」ことに男女の区別はなかったのだ。

 一般庶民までが自分の意思と能力で人生を切り開けるようになるのは戦後のことだろう。それにはドラマに描かれるであろう戦後の法律の整備(日本国憲法の公布と施行、およびそれ以降)ももちろん重要だが、経済的な自立が可能になるためには法律だけでは足りず、むしろ経済の仕組みが変わり、そこに女性を含む個々人が自由意思をもって参加することが可能になったことが大きいと思う。

 たしか内田樹が分析していたと思うが、経済発展と個人の自由度は正比例する。自分で稼げない個人は自由度が低い。どうしても他者に依存せざるを得ないからだ。経済的に自立できることが自由の獲得に直結するのだ。もちろんそれは責任とワンセットでもある。

 ドラマが描く時代、そして戦後もしばらくは――地域や状況によっては長らくの間――庶民の多くは男女を問わず「好き勝手にはいかな」かった。それでも、多くはそれぞれの役割をまじめに果た(そうと)した。男はみんな好き勝手にしていて、女だけが我慢していた、という単純な話でもないのだ。

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