昭和の?アドバイス「受け入れちゃいなさい」

 ここnoteでは、昭和期――筆者が知る範囲――の習慣や風俗などについても折に触れて綴っている。タイトルが「昭和の/昭和な〇〇」で始まるものがその類だ。ドラマなどに描かれた昭和の風俗を見て違和感を抱いた点や感想などを取り上げることも多い。本項もそのひとつ。

 これまでもNHKの朝ドラについてはときどき取り上げたが、この4月からは伊藤沙莉さんがヒロインを演じる『虎に翼』が始まった。伊藤さんは好きな俳優さんでもあり、期待して見始めたところだ。

 『虎に翼』は、女性の理想の生き方は「良妻賢母」という従来の考え方に疑問を持ち、自分の能力を高め自立した生き方をしたいと模索し、実現していく女性・猪爪寅子(ともこ)の生き方を描く作品のようだ。法曹界において戦前から女性活躍の場を切り開いてきた三淵嘉子さんをモデルにしている。

 時代は昭和の初め、女学生の寅子は「女学校在学中に結婚相手を見つけ、卒業後は結婚させたい」と願う母親から、しばしばお見合いをセッティングされる。が、もともと理屈っぽく(?)思ったことを口に出してしまう性格、何より結婚が幸せだと感じられない寅子は、お見合いではことごとく失敗する。一方、女学校の親友・花江は「女学校在学中に結婚するのが夢だった」と言い、寅子の兄と婚約している。

 放送2日目(2024年4月2日)のシーン。寅子の母親が法事で不在にしたある日、寅子は台所仕事をしている。将来の嫁として手伝いに来た花江に、寅子が結婚にピンとこない心情を語っていると、(花江の家の女中さんらしい)稲さんが呟く。
「女は、男みたいに好き勝手にはいかないからね」
そして寅子に向き直ってこう語りかける。
「受け入れちゃいなさい。なぁにも考えずに」

 ドラマとしては、(当時の)女性の生き方、そこに娘をはめ込もうとする両親、とくに母親への寅子自身の疑問――抵抗と言ってもいい――と、一般的な女性の考え方とのギャップを際立たせるためのシーンのように思われる。多くの視聴者はおそらく「そんな古い考え方!」と思うであろう、という計算の下に。わたしも寅子と同じくらいの年齢だったら、あるいは20代、30代だったら、やはり「そんな古い考え方!」と思ったことだろう。

 しかし、母親を中心に、戦前世代、あるいは祖父母などもっと前の世代のことを振り返りつつnoteに書いてきて、以前の世代の人々の生き方を「古臭い」と断じていいのか、という思いを常に抱いているようになった。

 いや、逆だ。いまに至る日本につながる庶民のささやかな営み、歴史の中のわずかな糸の一本かもしれないが、それを紡いできた人々、日々の生活に明け暮れるばかりで自分を表現する術も機会もなかった人々のことを書き残しておきたいと思ったから、noteを始めた。

 稲さんが言った「何も考えずに(現実を)受け入れる」のは、ある意味において庶民の知恵だ。何も(深く)考えずに、与えられた立ち位置で決まったことをする、繰り返す。それもまた一種の賢さが求められることで、ひとつの生き方として肯定されていいはずだ。ことに、家庭の切り盛り、共同体の円滑な運営――ひいては国家に尽くすこと。戦中まではこれが強調されすぎたが――においては、個々の役割とその貫徹は重要だったのだから。

 もちろん、女性(や子供)が「何も考えずに」男性や年長者、伝統的な習慣につき従うことは、思考停止と一種の白痴化状態を招いた部分もあっただろう。そして、管理(支配)する側にとってはその状態が好都合な面があったことも事実だろう。

 ただ、ドラマの中の寅子の家庭環境を見て「こんな上流階級の家がどのくらいあっただろうか」と思う。寅子は勉強が好きで、時事問題にも興味を持っている。そのこと自体はとても好ましいが、戦前、娘を女学校まで出せるだけの経済力のある家庭は少数派だったはずだ。庶民の親世代の多くは、小学校を卒業できていれば御の字で、大多数の庶民にとって勉強は「ぜいたく」だっただろう。まして女学校まで行かせてもらえたのに、親の言いつけに素直にしたがわない寅子(のような女の子)は、親不孝、外れ者と見られてもしかたがなかったはずだ。そんなレアケースとも言える寅子と周囲とのギャップを、いまの感覚で簡単に論じられない、と思うのだ。

 伊藤沙莉さん自身が関連番組で述べていたが、三淵嘉子さんのように苦労して時代を切り開いた女性たちがいたからこそ、女性の多様な生き方が可能になったという「いま」がある。そのことにはわたしも感謝しているし、開拓してくれた先輩たちには心からの敬意を払う。

 一方で、わたしの母など戦前の農村の女性、女の子たちは、家事や畑仕事の手伝いで勉強どころではなかった。農村に限らず、当時圧倒的多数だった第一次産業の従事者の家庭や、第二次・第三次産業でも肉体労働に近い仕事に就いていた庶民層の女性たちも大同小異だったはずだ。そんな環境や運命を「受け入れ」、求められる役割を懸命にこなした生き方も、もっと肯定されていいと思う。そんな個々の人生の集成の延長に、日本の社会は動いていたし、動いてきたのだから。


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