文字を持たなかった昭和 百二十二( マッちゃんちの駄菓子)

 昭和の半ばから後半、母ミヨ子など近隣の人たちが買い物に行っていた食料品店兼雑貨店「マッちゃんち」は駄菓子も売っていた。

 当時鹿児島の農村では「駄菓子」という呼び方はなく、「お菓子」あるいはそれぞれの菓子の名称で呼んでいたが、いわゆる駄菓子に相当する、ちょっとしたお菓子のばら売りもしていたのである。

 マッちゃんが座っている畳敷きの手前、店の三和土との境界あたりに、豆菓子や小さなビスケットなどが何種類か、それぞれガラス製の大きな広口瓶に入っていた。そして、子供連れの親や子供自身が「5円分」などと言うと、マッちゃんがわら半紙のような紙の小袋に、小型のシャベルみたいな道具で掬って入れて、袋をくるくると回し口を閉じて渡してくれた。

 鹿児島の代表的な豆菓子と言えば「雀の卵」である。ピーナツを米粉(たぶん)でくるんで焼き上げたあと、甘辛い醤油味をつけたものだ。「雀の卵」に見立てて刻み海苔がまぶしてある。おそらく地元の菓子メーカーのどこかがこの名前を付けて売り出したのだろうが、「雀の卵」は一般名称として親しまれ、いまに至っている。

 「マッちゃんち」の豆菓子でも一番人気は「雀の卵」だった。

 わたし自身が「駄菓子」という呼び方を知ったのは大人になってからのような気がする。「駄菓子屋」という場所に初めて足を踏み入れたのも、東京に来てからだと思う。そこで「マッちゃんち」にあったのと同じようなガラス瓶とシャベルを見て感激したのは、昭和の終わりごろだったかもしれない。

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