文字を持たなかった昭和 二百七(籾の乾燥)

 「二百六(脱穀)」で、昭和前半の手で刈り取った稲の脱穀について書いた。当時の稲刈では、刈った稲を稲架(はざ)に架けて乾燥していたので、脱穀する時点で籾から不要な水分は抜けていたことになる。

 農業の機械化によって、稲刈が歩行式のコンバインで行われるようになり、ほどなく乗用のコンバインに変わった。脱穀もコンバインが刈り取りと同時に行い、籾を直接袋詰めにする方法になった(このあたりの様子は「百八十八(稲刈りの機械化)」に書いた)。この方法だと、刈り取ったばかりの籾はまだ水分を多く含んでおり、稲架掛けして天日干ししていたプロセスが抜け落ちていることになる。

 ではどうするか。
 籾だけを乾燥機にかけるのだ。

 乾燥機をいつ導入したかはっきり覚えていないが、わが家の農機具機械化のささやかな歴史から考えるに、乗用のコンバインを導入するのと同時だったのだろう。いつの頃から納屋の入口に乾燥機が据えられた。

 この頃にはわたしも勉強が忙しくなっており――ということにしておく――特別忙しい時期を除いて、農作業には積極的に関わらなくなっていた、と思う。そのため籾の乾燥についての記憶がほとんどない。あるいは、父親と距離を置きたい心理が、時間と行動を農作業以外に方向へ向けていたのかもしれない。

 いずれにしても、乾燥機を含む機械の操作やそのタイミングは、父の二夫(つぎお)が決めていた。ほかの家族はそれにしたがうだけだった。

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