文字を持たなかった昭和 百九十七(秋の遠足、その二)

 昭和40年代前半、鹿児島の小さな町の幼稚園で秋に行われていたバス遠足を続ける。

 母ミヨ子は酔い止め薬を飲み、年長組に通う下の子の二三四(わたし)にも飲ませて、集合場所の幼稚園まで30分ほど歩いた。お弁当と水筒の入ったカバンを下げて30分歩くの大変そうだが、ふだんの農作業とは比べ物にならないほど楽なことだった。ミヨ子だけならもう少し速く歩けるが、二三四に合わせてゆっくり歩いた。

 年長組は赤・青・黄の3クラスがあった。バスには、園児と同数の父兄が乗る計算なので、40人ぐらいいるひとクラスの全員が同じバスに乗れるとは限らない。二三四は仲良しのお友達といっしょのバスに乗りたかったし、ミヨ子はミヨ子で多少気心が知れた母親と同じバスに乗れればと思っていたが、地域別だったのか事前に何かのルールを決めて割り振ったのか、バスでは他のクラスのあまり知らない友達や母親もいっしょだった。

 でも、ずっと母ちゃんといっしょだから、二三四はうれしかった。

 酔い止めを飲んではいたが、二三四はバスに酔って、ミヨ子が用意しておいたビニール袋に吐いた。それでも、母親がずっと側にいてくれるから心強かった。ミヨ子は薬が効いたらしいのと、子供の世話で気を張っていたせいか、酔わずにすんだ。

 動物園に着いたあとは、集合時間まで自由行動だったと思う。仲のいいお友達とそのお母さんとたくさん見て回った。何を見たか、ミヨ子も二三四もあまり覚えていない。

 ミヨ子にしても動物園に行くこと自体が初めてだったし――もしかすると3学年上の長男・和明の遠足でも行ったかもしれないが――、そもそも動物の姿も名前もあまり馴染みがなかった。サルやシカ、ゾウといったメジャーどころの動物は、ははあ、これがその「実物」か、と再確認したが、名前すら看板や立札で初めて見る動物は、親しみを持つ以前に、奇異な感じがした。ふだんあまり文字を読まないミヨ子は、看板をすぐに読みこんで「これは〇〇の国の動物だよ」など、気の利いた説明をしてあげることもできずにいた。

 絵本や図鑑、そしてテレビ番組で動物の姿と名前を覚えていく二三四のほうが、ずっと「知識」があった。もっとも母親に対してがっかりすることはなく、いっしょにいられるだけでうれしかった。歩き回るうちに、バスの中で吐いたことも忘れていた。

 動物園は広かった。1カ所でこんなに広いところはミヨ子たちの町にはなかった。町内で広い場所と言えば「農高」と呼んでいた県立の農芸高校だったが、農高よりもずっとずっと広かった。田んぼや畑は広がっていても持ち主ごとに区分けがあったし、ミカン山やスギ林などの山は立体だから広さを測りかねた。

 お昼ご飯はその広い動物園の中で食べることになっていた。

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