文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話11 毛糸のチョッキ

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。このところは、先日帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いている。

 前項では「着た切り雀」というタイトルで、ミヨ子さんにとって昼夜の区別があいまいになってきて、服のままベッドに寝ころんだり、夜も同じ服で寝ている状態について述べた。寒がりなので重ね着したがることについても。

 そんなミヨ子さんが愛用しているのが「毛糸のチョッキ」だ。今風に言えばニットのベストだろうが、日本の庶民の多くが「毛糸のチョッキ」と呼んでいた昭和の半ばに買ったそれを、ミヨ子さんはいまも大事に着ている。

 このチョッキは長く愛用していることもあり「413 おしゃれ(9) チョッキ」でも単独で取り上げた。まだ働き盛りの主婦だった頃に買い求めたそれを、今も着続けているわけだ。その期間の長さは驚異的というしかない。
毎日のように着ていて、当然食べこぼしなどの汚れも着くだろうに、どういう手入れをしているのか、お嫁さん(義姉)に聞きそびれたが、それほど痛んでいるふうには見えない。もちろん多少くたびれてはいるが、ふだん着には十分だ。

 デイサービスの日、チョッキを着る必要がないような天候のときでも、ミヨ子さんは持って行く。「寒くなったときに着るかも」という理由らしい。防寒以外に、体に合っていること、チョッキなら脱ぎ着が楽なこと、好きな色であることなどなどの理由があるだろうが、総じて言えば「着ている(手元にある)と落ち着く」というのが一番の理由なのではないかと思う。「ライナスの毛布」、つまり、犬のスヌーピーが主人公の米国漫画『ピーナッツ』に登場する少年のライナス・ヴァン・ベルトが、いつも手にしている(持っていると安心する)青い毛布と同じのようなものだろう〈246〉。

 10年ほど前の大型台風を前に、一時避難の目的で息子(兄)の家へ泊りに行ったミヨ子さん。結果的に長年住み慣れた家(つまりわたしの実家)が台風被害により住めなくなったため、なし崩しに息子家族との同居が始まり、愛用の品々の多くは持って来られなかった。衣類もかなりのものを残してきた。そして残してきたもののほとんどは、被害を機に家を壊すときに「産業廃棄物」として処理せざるを得なかった。

 そのミヨ子さんに寄り添ってきた数少ないもののひとつが、この「毛糸のチョッキ」なのだ。ミヨ子さんにとっては、お嫁に来てからずっと住んでいた家、そこで営んできた生活を象徴するものなのだろう。本人はそんな風に認識していないかもしれないが、そんな意味合いがあることはたしかだろうと、実家をなくしてしまった娘としては思う。

 同居する孫娘(姪)たちとチョッキの話題になったとき、お嫁さんは「新しく買ったほうがいいんだけどね」と言い、孫娘も「同じようなのがあれば着るかもね」と同調していた。

 でもわたしは、ミヨ子さんにとっての「ライナスの毛布」はこれしかないだろうと思っている。願わくば、このチョッキが少しでも長持ちしてくれますように。

〈246〉「青い毛布」「安心毛布」とも。馴染んだ何かを持っていないと安心できない状態を「ブランケット症候群」と呼ぶらしい。


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