文字を持たなかった昭和 二十三(きれいな姉ちゃん)

 ミヨ子と二十歳も離れた末っ子のすみ子が、いちばん上の姉ミヨ子を初めて見たのは、ミヨ子が結核のため佐賀の紡績工場勤めを辞め帰郷したときのことだった。

 母のハツノがすみ子をおぶって家を出て、「鉄道みち」と呼ばれていた鹿児島本線沿いの広めの通りのほうへ短い坂を下りていったとき。田んぼと畑に囲まれた細い道を、反対側から若い女のひとが歩いてきた。このあたりで見たことがないきれいな服を着ていた。
「しらないひと」――まだ3歳のすみ子は、思わず母親の背で頭を引っ込めた。

 女のひとはまっすぐこちらに向かってくる。母親もまっすぐ歩いていく。狭いあぜ道を、もうすぐすれ違う。
「このよそのねえちゃんに、かあちゃんはあいさつするんだろうか」と思ったとき、よその姉ちゃんが言った。
「母ちゃん」
母親が答えた。
「ミヨ子、お帰り」

 昭和25(1930)年にすみ子が生まれたとき、ミヨ子は紡績工場で働き始めていた。きょうだいのいちばん上に姉がいることは聞かされていたが、いっしょに暮らしたことはない。まだ小さかったから、見たこともない姉について詳しく聞いたわけでもない。

 どんな顔なのか想像もつかなかった姉ちゃんが、目の前にいる。母親の背中ごしにそぉっと首を伸ばした。母親の正面に立って笑っている女のひとは、何かで見た女優さんみたいにきらきらしていた。

「わー、きれいなねえちゃん!」
 それがすみ子にとってのミヨ子の第一印象であり、一生忘れられない瞬間だった。

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