海外をお手本にするのはいいけれど…

いつもの記事は、実習中につきお休みして。
電車の中で見掛けた本の広告が気になったので、ちょっと書きたくなりました。

「最後はなぜかうまくいくイタリア人」

フランスや北欧…そしてイタリア。
共通してるのは、真面目すぎず、力の抜き方や多様性を教えてくれるところかなと思う。

ただ…気になったのは

「真面目はまぬけ」
「空気を読んだことはない」
「自由に仕事し、いつでもサボる」
「アポの時間は努力目標」
「いつでも”成り行き”に任せる」

…といったことが、「今私たちに必要なのは、イタリア的発想だ」…と広告に書かれている。

 否定はしない。
たしかに、なんの意味があるのか分からないルールまで「守れ!」とか、理由を聞けば「そういうものだから」「それが常識だ」程度の回答しか返ってこないようなものは、要らないし、真面目とはまた意味が違う頭の固さは、こういう本で柔らかくなるならその方がいい。

ただ、少し懸念を感じる。
誤ったステレオタイプになりかねないということ。
それから、伝統ある「日本の哲学」すら十分にわかってないで、海外のものばかり取り入れていくと、益々、軸がなくなりそうだと感じること。

あまりに色々になりすぎて、軸を失った軟体動物のようでは、「自由」でなく「不自由」だ。

逆だと思う。

ある程度の不自由と感じる中に、枠組みがしっかりあるから、…背骨が通っていて、そこに神経が行き届いているから歩けるのであって、そうでなければ、どうしたらいいか、生きづらくて当たり前だと思う。

例えば少し前に、「お・も・て・な・し~」と日本の美学をアピールしてたのに。
海外にも、もちろん「おもてなし」はある。
でも、この発想は日本的な「おもてなし」の概念とは別世界だなと。

そう思ってしまう私は、もう老害なんだろうか…。

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