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「合理的配慮」って言葉が難しい問題

公立学校や行政機関などにおいて「合理的配慮」が義務化されたのが2016年。その頃、私は高等学校に勤務していて、特別支援教育コーディネーターとして「合理的配慮」を推進していくための仕組みづくりや環境調整に取り組んでいました。あれから8年が経ち、今年度から民間事業者にも「合理的配慮」が義務化されました。

ここまで読んだだけでも「なんか難しい話が始まったな」と思いませんでしたか。

この「合理的配慮」という言葉。初めて聞く人には何となく、堅苦しい、とっつきにくい、ピンとこない感じがするのではないでしょうか。実際に「合理的配慮」という言葉を出した途端、眉間にシワが寄る人を見たことがあります。内容の理解や実践以前に「難しそう」が先に立つのだと思います。

社会的バリアをどんどん取り除いていきたいのに、その入口となる言葉が難しくて近寄りがたいとなれば、それこそ、その難しい言葉自体が障壁になってはいないか?と思ってしまいます。今日は、もう何年も使っている「合理的配慮」という言葉そのものに対するモヤモヤについて書きます。

「合理的配慮とは何か」については、別アカウントで書いたものを貼ります。

「合理的配慮」という言葉に関するモヤモヤは2つ。1つ目は「言葉が難しくないか?」ってこと。2つ目は「『配慮』という言葉は適切なのか?」ということ。

1. 言葉の難しさについて

「合理的配慮」って言葉、私も最初は「何それ?」って感じでピンときませんでした。いや、今もピンとはきていません。「合理的配慮」は、簡単に言えば「障害のある人が参加・活動するために必要な環境をええ感じに整えること」なわけだから、「ええ感じ大作戦(あくまでも例え)」くらい軽やかな、現場で使える呼び名(通称)があればいいのになと思います。「『合理的配慮』をお願いします」より「『ええ感じ大作戦』発動!」くらいの方が現場のみんなも「よっしゃよっしゃ」とならんだろうか。

決してふざけているわけではないのです。進んでいるところでは進んでいるけれど、まだまだマイナーな「合理的配慮」。現場に、世間に、広めていこうと思ったら「難しそう」の壁を取っ払うキャッチーなネーミングが必要なのではないかということです。

「合理的配慮」は、私たちの生活の身近なところで機能すべきで、その言葉を使う人の多くは、そのことに通じている専門家ではなく、世間一般の人たちであるはずです。「なんか難しそう」という印象を持たれては、人々の興味の持ち具合も物事の進み具合もスローなままではないかと思うのです。

「合理的配慮」を身近なものにするには、その言葉をサラッと口にできるかどうか、キーワードを聞いて「あぁそのことね」とピンとくるかどうかは重要です。だから、誰もがカジュアルに口にできる平易な言葉がいい。そしてできるなら、印象の重たい言葉より、ワクワクをイメージできる言葉がいいと思っています。

2. 「配慮」か「調整」か

「合理的配慮」の原語である「Reasonableリーズナブル accommodationアコモデーション」のアコモデーションは「配慮」ではなく、「調整」と訳すべきだという意見をよく耳にします。

国語辞典には以下のように書いています。
【配慮】心をくばること。心づかい。事情をふまえて気遣いのこもった取り計らいをすること。
【調整】基準に合わせて正しく整えること。過不足などを正してつりあいのとれた状態にすること。

「配慮」という言葉からは、「してあげる」的なニュアンスを感じる人も多いのではないでしょうか。「with善意」みたいな。心を伴っていないとできないことのような……。それって何か重くないですか。よくある「差別はダメです。困っている人は助けてあげなくては・・・・・・……」みたいな、助けてもらう側と助けてあげる側という構図をイメージして、フェアな感じがしません。

多くの人が「お願い」することも「感謝」することも必要とせず、当たり前に享受している権利や自由。それを同じく求めようとするのに、毎度「お願い」をし、「すみません」「ありがとう」などと、心配りに「謝罪」や「感謝」をしなければならないのでしょうか。そういった空気感で進められる「合理的配慮」が、果たして真の差別解消に繋がるのかはいささか疑問です。

心づかいや気遣いによって柔軟な対応がされるケースも多く見てきました。それはそれでいいんです。しかし、フェアな環境は、そうした人の心情に期待するものではなく、もっとドライに粛々と整えられるべきものであると思います。法的義務となればなおさらです。親切心があろうがなかろうが公正に整えなくてはならない。皆がもつ当然の権利が守られるように。

「リーズナブル・アコモデーション」は、上下(垂直的)関係ではなく水平関係で進めるものだと思います。どちらが上でも下でもない。対等な関係で互いの立場を尊重しながら、よりよき方法を模索する。本来の意図が違ったイメージで伝わらないようにという意味でも、「調整」がいいと私も思っています。

「たかが名称、されど名称」
言葉によって、人のエネルギーやベクトルはいかようにも変わります。良い流れを作るには名称へのこだわりも必要だと感じます。

そうは言っても、マクロレベルでの名称変更は容易ではありません。しかし、正式名称はそれとして、自分のいる場所、会社、学校、地域などメゾレベル単位なら、現場で使えるネーミングを考えるなどの工夫はできるのではないでしょうか。皆に分かりやすい通称を作って、「合理的配慮」の啓発キャンペーンから始めるなどの取り組みはできそうな気がします。

「合理的配慮」をもっと身近に。そんな気持ちで書きました。

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