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江戸川橋から八丁堀

朝起きたら寒いと思った。
実を言うとそれより先にあんバターサンドが頭に出てきていたことを正直に記しておく。

昨日の暑さから一転肌寒く強い雨が降り続けた。
そんな雨に屈することなくあんバターサンドは私をローソンへといざなった。ほかの商品の誘惑に負けそうになりながらも目的のみを購入し家へと戻った。
コンビニには魔物が住んでいるものでして、目的を決めていても目的のみを購入するなんて無理な世界なのだ。
だから今回の目的買いのみ遂行できた自分を褒めることにする。
魔物への勝利とでも呼ぼうか。

正午に差し掛かり雨はしきりに降り続けた。
今日は仕事を辞めるため保険証の返還、家の契約の二本立てで人生をお送りする。
江戸川橋なんてどこだよって思いながらも足を進めた。
せっかく江戸川橋に行くのならそこにあるカフェなどを探した。
せっかく足を踏み入れた地なら何かして帰りたいと言う欲がある。
結局行かなかった。雨と風が私を襲った。辞めた理由が単純すぎるまあこんなもんだろう。

保険証の返還をし、必要な書類を受け取った。
所要時間5秒。本当に5秒だった。
その一瞬のためだけに江戸川橋まで来たのだから人間の行動力といいますか、原動力たるもの凄まじい力を秘めているのではないかと違うベクトルからのマグマを感じた。
保険証を返還するだけで世界は何も変わらない。
しかし、私から見える世界は雨の粒でさえダイアモンドの輝きをしていた。
未来へのワクワクを得た気がしたのだ。

これで正式に私は何者でもなくなった。何者かであると、もう別の何者かになることが難しい。
白紙でない紙になにかを描くことが難しいように、白紙の状態には無限の可能性しかそこには存在しないのだよ。
私の目の前にある白紙にこれから自分が好きな色と形を散りばめながら何者かになるその日まで人生という名の芸術作品をつくり続けてゆく。

江戸川橋から有楽町にて乗り換え日比谷線まで向かった。
日比谷線案内の横に千代田線の案内があった。
私の姉が千代田線沿いに住んでいるが故、千代田線と見ると必ず姉を思い出す。
彼女の名前は通称チェルというのだが、千代田線もチェルもイニシャルCから始まることから千代田線はチェルのための線とも言える。なぜ千代田線を見れば付随して姉を思い出すかを説明するにとっておきな例がある。
小学校から高校まで”組”があった。その時に3年5組の山田という人がいたとする。すると山田といえば5組、5組といえば山田という連想になるようなもんだ。
私は学生時代は横浜線沿いに住んでいた。したがって私=横浜線というイメージが定着していたのではないだろうか。これからは小田急線のイメージが定着していくのだろうか、など脳内連想ゲームをしていた。

八丁堀に着くや、時間を持て余した。少し早く着きすぎる癖は時間厳守の人間である私だからこそ起きる事柄だ。カフェで時間を潰すまでの時間はないし、お金もない。皮肉にも昨日正式退職をした前職の会社のお店に行くことにした。イートインスペースはなかったが、大雨を少しばかり避けるながら屋根を借り雨宿りをしながらそこに出入りする人を観察し、ホットコーヒーとパンを口にした。
そんな私の姿はあんぱんと牛乳を手に張り込みをする刑事のように周りは思ったのではないだろうか。
台風の大雨の中傘をささずに走って出ていくサラリーマンを目にした。
1秒でも傘なく雨に触れるとずぶ濡れになるような雨の中、走って行ったサラリーマンのおじさんは勇者だ。髪の毛がさみしげにも見えた。雨に濡れてさらにさみしさを増していたことは彼の部下や同僚には伝えないようにしておこう。
他にもこんな変な人がいた。つくね串を右手に傘もなく自転車で消えて行った少年がいた。
つくね串の先端だけかじりほかのつくねが酸性雨に触れ、汚染されていながらも貪り食う彼の姿は勇ましかった。せめて私のように雨宿りをしながら、串についているたった三つのつくねくらい食べてから自転車に乗れば良いのに、と思いながらも面白い生態の人間を見れたことに喜びながらまた完全食のパンを一かじりした。
30分ほど時間を潰すにはなんともちょうどよいひと時であった。

八丁堀から乗った日比谷線の椅子がとんでもなくすごかった。新幹線?飛行機?のようなシーツに驚いた。
日比谷駅まですぐだったこともありその席に着座できたのは一瞬だったが、また出会いたい車両となった。

今日もこんな色んな想いを馳せながら新たな家まで電車でゆらりゆらりと揺られながら帰って行ったとさ。

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