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イランの田舎町で、時計を忘れて過ごしてみたら
.سلام
春は始まったというのに雪が降り止まない朝一番、チャドルをまとい牛舎に向かう叔母のあとを追いかけた。
チャドルとは、頭から全身をすっぽり覆う黒地のマントのこと。
搾り立てのミルクを鍋に入れて家に持ち帰り、ストーブの上で温める。一昨日搾ったミルクではもうバターが出来上がっており、ラヴァッシュ(نان لواش)と呼ばれる薄いナンにのせて、蜂蜜をかけて巻くんだ。紅茶のヤカンも音を立てて沸騰を知らせる。
この街の朝は早い、さあ朝食の始まりだね。
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私が滞在していたこの街は、首都テヘランから車で約10時間かけて辿り着いた、東アゼルバイジャン州に位置する「サラブ(سراب)」という田舎街で、私のお父さんはここで育ったんだ。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53598964/picture_pc_0a122366cb2485b451a8fcad8edbabff.png?width=800)
Googleマップでパッと見た感じでは首都寄りではあるものの、イランの国土面積は日本の約4.4倍、中東1位のサウジアラビアに次ぐ広さなので、テヘランからこの街に行くのですら一苦労だったよ。
結露してきた車窓からの景色が土壁造りの家々へと変わっていくのをボーッと見ていたら、長旅の末、やっと着いたんだと安堵してきた。
ふぅ...ってね。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56728699/picture_pc_bebbc8de587ee6006efa48eb6fdb4345.jpeg?width=800)
気候や立地、そこに住む人々の活動といった、土着的・伝統的に造られた建物のことをヴァナキュラー建築というが、この土壁こそイランにおけるヴァナキュラー建築のひとつなんだ。
赤土で出来た日干しレンガを積み上げ、その上からさらに土を塗り固めていく方法が取られている。
冬は室内が暖かく、夏は涼しいだなんて、住居として完璧だね。
そして、脇道の開渠の水はどこも透き通っていて、水分量の多い果物や野菜はこの街でたくさん採れるというイランでは数少ない自然豊かな場所。
お父さんが山梨県を好きな理由が分かったような気がしたんだ。故郷に帰ったような気持ちになったんだろうとね。
歩いていると、一体犬なのかライオンなのか分からなくなるくらいに大きな生き物に出会った。
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(Google画像検索より)
「ここの野良犬はデカいぞ!!」とは聞いていたが、想像以上だった。
このサラブの犬はイラン北部東アゼルバイジャン州の家畜番犬の品種『サラビードッグ(Sarabi dog)』として登録されていて、
格闘漫画『刃牙』に出てきそうなアメリカやロシアの筋骨隆々な男たちに向けて輸出される大人気犬なのだ。益荒男にはたまらない犬なんだろうな。
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いざ人に会ってみると、この街ではアザリ語という言語が主流で、想定していたよりペルシャ語が通じなかった。そうと分かるとまた異国に来たような気分になってきてワクワクしてきた。
<アザリ語とは、アゼルバイジャンの公用語>で、トルコ語やトルクメン語と同じテュルク諸語の南西語群。テヘランではトルキーと呼ばれる。
1979年のイラン・イスラム革命により学校教育では地域関係なく公用語統一がなされたので、革命後に学校教育を受けた人たちはペルシャ語が話せるのだが、
この地域は高齢者層が人口を占める地域なので、そもそもアザリ語しか使えない人たちが多いのだ。
そういえば近くにある「タブリーズ(تبریز)」という大きな街も、同じ東アゼルバイジャン州だからかアザリ語を話す人が多かった。
地域によって訛りがあるところは日本に似てるが、イランには公用語を全く使わない(または話せない)人たちが3割以上いるらしい。
公用語が4つもあるというスイスに比べたらそんなに驚くことはないのかしら。
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さて、ここで暮らす多くは先述のとおり高齢者層であり、宗教観としては保守的なイスラム教シーア派だ。
以前に書いた記事では自由になりつつあるテヘランの若者たちについて書いたが、それはやはり首都に限った話で、ここでは肌の露出部分が顔だけとなるチャドルを纏う女性がマジョリティだ。
そのため、例えばスカーフで外に出てしまうと「あの家の娘さん、チャドルじゃないわ!」
と、噂話されてしまったりと、マイノリティな行動は悪目立ちしてしまうらしい。私は外国人枠なので、その意味で物珍しく見られるくらいだった。
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一方でこうしてコミュニティが狭いことで、初めて会う人でも誰かしら共通の知り合いは必ずいて、困ったことがあると、躊躇なく手を差し伸べる無償の助け合いが多くある。
他の幸も不幸にも無関心な都会とは違って、どこかの家庭に不幸があれば街全体が喪に服されると聞いてなんだか感慨深かったなぁ。
これまでとは毛色の違う街であるが、慣れるのに時間はかからなかった。初めは珍しい目で見られていたものの、挨拶さえしてしまえば打ち解けて、羊の放牧を見せに連れて行ってくれたり、普段できない体験だろうと牛のブラッシングや乳搾りを手伝わせてくれたりと温かく迎え入れてくれた。
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外食する場所が少ないので、お腹が空けば家庭料理を一緒に作ったりした。初めて試す変わったスパイスがあったりして面白くて、この時間はとても好きだった。
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↑アッシュ(اَش)という、ハーブとひよこ豆などを入れたヨーグルトベースのスープ。
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↑ゲイメ(قیمه)という、ラッペ豆を使ったトマト煮込み。
夕飯はどこかのお家に招待していただくことが多かったので、幅広い「国の味」に触れることができた。本当に本当に、有難いなぁ。
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いつものように牛乳を取りに行くと、昨晩産まれた仔牛はすやすや夢の中にいた。
体重を測ると45キロ以上と逞しかったので、あっという間に成牛になるんだろうなぁと少し切なくて、その成長を見ていたくなった。
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この街では、はしゃいでしまうようなイベントや、本に載るような観光スポットがあるわけじゃないので、日々「ただ生きる」ために必要なことを繰り返した。でもそれは温かい人々に囲まれた、幸せで幸せに溢れた素敵な繰り返しだったんだ。
そうしているうちに、あっという間に最後の夜になっていて、特に理由はなくボーッと空を見ていた。
サラブの夜空の星たちは、いつも綺麗だったはずなのに、この日に限って眩しいくらいにキラキラしてみえた。
マダムの宝石箱の中に入ってしまったのかと思うほどやけに綺麗だから、色んな感情が溢れてポロポロ泣けてきた。誰にも見られたくなかったから、できる限りその箱の中に閉じ込められちゃいたいと思ったよ。
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実はこれは、もう5年も前になる話。
ちょっと都会を離れたら、「ただ生きること」にとても丁寧な人々に出会って深く憧れた。
時間を忘れるイランの田舎町、外では昨日からフワフワと雪が降り始めたらしいよ。
マダムの宝石箱は、ずっとずっと開いたままで。
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