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知らないを知りたくて


学生の頃、いわゆる「安定」を求めて就職し、その先に見ていたのは、マイホームや家族を持って生活をする姿。
料理の仕事に就いたので、ぼんやりと、いつか自分の店でも出すんだろうな、などと考えていた。
そこに対して違和感を抱くこともなかった。

けれどその考えは、就職して社会に出て、関わる人が多くなっていくうちに変わっていった。

ボクは何も知らなかっただけなのだ

生まれてから高校を卒業するまで、ボクは故郷である長野の田舎で生活し続け、当然出会ってきた人も、同じように生きてきた人だけ。

家にはパソコンがなかったが、ネットに対して「怪しい」などと恐怖すら覚えていたために、パソコンのない不便さなんて微塵も感じなかった。縁のないものと、避けていた気もする。

それでも、高校に入学するタイミングで、連絡用にと携帯を買ってもらった時は嬉しかった。

友達と家電を使わなくても連絡を取り合えるようになったからだ。(特に女の子)

ボクにとってのインターネットは、オフラインの友達と繋がれることで、十二分に役割を果たしていたのだ。

パソコンのないボクの家には、当然Wi-Fiなんてありゃしない。
月に7GBの容量でやりくりするために、「動画を見る」なんて選択肢はなかった。
YouTubeという単語は聞いたことがあったのだけど、それがなんなのかなんてことも知らなかった。
とにかくボクはネットに疎かった。

それでも学校での会話のネタは、テレビのバラエティ番組やドラマ。
ネットを知らなくても、疎くても、それでよかった。

そんな風に育った学生時代。
ボクはあまりにも狭い界隈で生活していた。


社会人になってからというもの、一気に世界が広がったように感じた。

ボクは就職を機に、長野を離れ広島に行ったので、出会う人が皆が初めましてなのは当たり前。
同じ日本なのにも関わらず、言葉が違う。といった体験を皮切りに、今まで知らなかったことが、次々とボクの周りで起こっていた。

それまでの当たり前が、当たり前ではなくなったような感覚になった。

さらに、ここで出会った人の中には、自分のやりたいことを実現させるために、短期バイト(リゾバ)をしている人も多く、そのほとんどは海外に行くためにと働いていた。

「ワーホリに行くため」
「世界一周するため」

といったように、その理由こそ様々だったが、無知なボクにとって、そんな生き方なんて知らなかったボクにとって、自分の意思を強く持って前を向くその姿は、強い憧れの対象になった。

そういった人たちとの出会いが、ボクに海外の楽しさを教えてくれたし、それは本質的に「学ぶこと」「挑戦すること」の楽しさを教えてくれたのだった。


それからというもの、ボクの中に閉ざされていた好奇心が解放され、思うままにやりたい挑戦をしていくようになっていた。
過去を否定するわけではないのだが、そのあたりからボクの人生が始まった。

何かに挑戦し、成長するその自分の姿が快感なのかもしれない。その快感を求める、今の人生が最高に楽しく感じる。

今のボクの姿があるのは、過去に出会ってきた多くの人たちのおかげ。
そのうちの1人でも欠けていたら、こうはなっていない。

そう強く思うからこそ、ボクは今まで出会ってきた人たちに対して、カタチとして何か恩返しをするために、毎日勉強して、成長を追い求め続ける。知らないことを、知るために。

今の人生が最高に楽しいからこそ、過去の出会いに感謝を持ち続けるし、これからの人生はその楽しさを、さらにさらに更新していくという確信があるので、目の前の人を大切に想い、今日も生きていきたい。

ボクが今を楽しめているように、周りの人にもそうなってほしいと望みながら



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