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3 1番サード岩鬼正美

プロフィール欄に野球をやっていました。とわざわざ書いているので私の野球歴を紹介していきたいと思う。

私が野球を始めたのは、小学五年生の秋頃だった。
休みの日に、マンガを読むのが好きだった私は、兄貴が買っていたドカベンプロ野球編を読み始めた。
そこででてくる、岩鬼正美に強烈に惹かれたのだ。
打席立てば、三振かホームラン、何故かど真ん中は打てないが悪球なら、ほぼほぼホームラン
打球音もがキーンではない。グワァラゴワガキーンと特殊。守備も上手ければ、肩も強いし、足もはやい。口は悪いが本当は優しい。そして周りの目を気にしない。とにかく結果を出す。本人も言っているがまさにスーパースターだ。
私もああなりたい。ホームランを打ちたいし、なにより岩鬼が守るサードが当時の私には、だれよりもかっこよく見え理想を持ち野球を始めた。

(同年代でドカベンに影響を受けて野球を始めた方がいらっしゃるのならばぜひ会ってお話をさせていただきたい)

小学時代は、六年生になるとチームは9人ぎりぎりだった。そのこともあり、私は念願のサードを守ることができた。チームは、信じられないくらい弱く、私も下手くそだった。でも理想通りの野球をやらさせてもらった。

中学にあがると。理想と現実は違うことを知ることになる。私の学年は、9人しかいなかったが、明らかに私が一番下手くそなのだ。ここまで違うのかとショックを受けたのを覚えている。9人しかいないので1年生大会には、私も試合にでることが出来た。だがポディションは、サードではなく一番ボールが飛んでくる可能性が低いライトを守ることになる。(ライトはすごく難しいし、下手くそだから守るポディションではないと言うことは書いておきたい)

その時いや俺・・・サードをやりたいんですよ。と
悔しさと悲しさが入り混じったなんとも言えない感情になった。

高校に入ると同級生は16人いた。当時の監督は好きなところを守らしてくれる人だった。サードにしようか迷いも生じたが、仲間たちの動きをみると、またしても私だけレベルが違うのだ。少しでも試合に出れる可能性があるとしたら、中学3年間守ってきた外野だと思い…諦めることにした。

中学、高校と思えばいつも一番下から始まった。1年間練習をし、少しはうまくなったと思ってたら後輩たちに抜かれていった。理想の1番サードどころか、試合にも出れない日々が続いた。

だが、野球が嫌いになったわけではない、むしろ大好きだ。さらに中学、高校と本当に良い仲間たちに恵まれた。それに下手ではあったが、私の中で忘れられないプレーができた日もあるし、どんなにきついことがあっても最後の夏を思い出せば奮い立たせてくれような出来事もおこった。

しかし思う事がある。私自身がまだ本当の野球の面白さ知らないんじゃないか。同点という緊張感の中で打席に立ち、ヒットを打つ喜びや、ホームランを打つ感覚とはどんなものなのだろう。

理想と現実は違うことは知った。でももう一度追い求めてみたい。高校野球みたいなひりつく緊張感はないかもしれない。舞台を草野球上に移し、野球をやりたい。野球の楽しさを味わいたい。今コロナの影響で勇気を出して入ったチームが動いていない。思いっきり野球ができる環境になって欲しい。

そして岩鬼のようにグワァラゴワガキーンと
球場全体に響かせさベースを一周したいな。
その時どんな気持ちになるのだろう。
想像もつかない。それを知るためにも

もう一度、そうもう一度 

理想を求めて小学生の頃のような気持に戻りグラウンドへ向かいたい。


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