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85 後悔のない選択

 人生は選択の連続だ。とよく言われるが本当にその通りだと思う。今の自分がいるのは、その連続の選択を繰り返し、それが正解だろうが不正解だろうがその時、その時で選んだ結果が今だ。

 小さいころからの感覚として後悔はしたくないなという感覚がある。好きなことをやろう。それが向いていようが向いてなかろうが。そんなのは関係ない。後悔はしたくない。

 そんな自分が人生の中でこの選択をして良かったと心から思えることは「野球」を始めたことだ。僕が野球を始めたのは小学校5年生の冬だった。多分僕の記憶では、僕が地元の小学校の中で一番遅く野球を始めたと思う。子供ながら今からじゃ遅いかなと思ったが「やりたい」と思ったからしょうがない。その気持ちを夜、父に話したところ「いいか。始めるのがみんなより遅くて中々試合にでれないてこともあるぞ。だからってすぐにやめるなよ。それが約束できればやってもいいぞ」と言ってくれたのを今でも覚えている。その言葉がシンプルに嬉しかった。今大人になって考えれば父は僕の運動センスを知っていたから、中々厳しい戦いになるぞと思ってたと思う。でもそれを始めるのが遅いからという表現にしてくれたんは父の優しさだったのだなと。やりたいことをやらしてくれた父、母には今でも感謝している。

 父の心配が的中してどうやら僕に野球のセンスはなかったみたいだ。そう気づくのに時間はかからなかった。

 中学から高校に上がるときに野球を続けるかどうか悩んだ。高校野球というのはレベルが違と考え、自分なんか3年間補欠で終わってしまうのかもしれないと。それなら他の部員が少ない部活に入って試合に出るのが良いんじゃないかと。そっちのスポーツのほうが向いてるのかもしれないしと考えた。考えに考え抜いた結果僕は高校でも野球をやる選択をした。やらないという選択をしてやっぱりやりたかったな野球と思うのが嫌だったから。それに高校から花開く選手もいるとなにかの雑誌で読んだから。小さい希望を持って続けることを選択した。

 その希望はすぐに消える。初日の練習がきつすぎたのと、周りとのレベルの違いをすごく感じたのを覚えている。田舎の公立高校の野球部なのだが高校まで野球を続ける連中はレベルが違った。すぐにわかった。あ。自分が一番へたくそだなと。えらい世界に飛び込んでしまったと。結果3年間一度も公式戦に出ることがなく終わり、自分の代になっても背番号がもらえなかったりと。割と厳しい現実を目の当たりにしてきた。

 それでも一度も高校でも野球を選択しなければ良かったと後悔したことはない。むしろ逆で本当にやってて良かったと今でも心から思える。それは自分が強いからとかではなく、本当に同級生に恵まれたからだと思う。最高の仲間に恵まれたのが、出会えたのが、この出来事だけでも野球を選択して良かった。

 続けるという選択が世の中的に見れば正しかったのかそうでないのかは、分からないが、続けてきて最後にご褒美がもらえた。高校野球最後の夏大会前の練習試合。実力的に夏の公式戦にでることは、ほぼないだろうと思ってたので実質的に引退試合だった。その試合に8回裏の守備から出場した。9回表最後の攻撃でチームは9番からの攻撃で僕は5番の子の代わりに試合に出てたので、打順が回ってくるまで打者6人がつながなけらばいけない場面だった。最後は打席に立てずに終わってしまうかと諦めかけていたが、チームのみんなが自分まで回すぞと一つになってくれた。ベンチからの応援も拓也まで回せと声をだしてくれて思わず泣きそうになったのを覚えている。その後必死につないでくれてワンアウト1塁で4番にまで回ってきた。この4番がゲッツーを打たなければ自分まで回ってくるところまでつないでくれた。頼むと思いながら見ているとその4番が送りバントをしてくれた。夏大前の貴重な打席でだ。それが嬉しくて、本当に自分まで回してくれたチームメイトに感謝しながら打席に立った。

 粘りに粘ったが結果は、三振で終わってしまったのだが。(そこで打ってれば夏の大会もでれたかもしれないのに。勝負弱い。笑。)

 そんな仲間思いのメンバーに恵まれてやらなければ良かったと思う訳がない。自分の選択に後悔は一つもない。

 下手くそで自分に向いてないとは分かっていた。でも後悔はしたくなかった。だから続けた。そしたら最高の仲間に恵まれた。「野球」をやるという選択をしていなかったらこんな経験もできてないし、今のような考えの人間にもなれていないと思う。

 これからも向いてる向いてないではなく、後悔のない選択をしていきたと強く思う。

 

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