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らしさを出して仕事をする難しさ

 他の人を見る必要ない。自分らしく生きていけばいいんだという言葉がある。この言葉の意味はわかっているつもりで、なんとなくその様に生きた方がいいのだろうというのもわかる。

 ただ一社会人として思うのは、自分を殺せ。周りに合わせろという場面の方が遥かに多いと感じる。

 例えば社内会議でAの方向とBの方向がどちらの方向で物事を進めるかとなった場合、私自身Bの意見の場合でもAの意見が多ければそちらに従う。心の中ではBが良いと思っていてもAの意見の人達と対立までして、自分の意見を通そうとは思わない。この例はまだ良いが、AでもBでもなくCの意見だった場合、もう言葉すら発さない。どっちでも良いよと思うからだ。そして頼まれた事をただやるだけ。

 それでいいとも思っている。だけど社会的に名を残してきた偉人や有名人達は、そこでCの意見をぶちかましてくるのだ。その意見を通すためには周りの「なんだよこいつ」という目を気にせず、自分を通し切る。そしてこれが成功して次からCの意見が普通になっていく。 

 先日のしくじり先生でコットンの西村が番組内でできたゴットキャラ(全ての才能が全部集中していること)が他の番組で通用しないという悩みを話していた。それでもこのまま続けていくのか、それとも周りに合わしてそのキャラを一度封印するのかという選択に迫られた時に、結果としては一度封印するということになった。この結果が私としては残念だが、その時の西村の顔は全然納得している様に見えなかったから少し嬉しかった。

 その時に若林が言ってたのが、(いつも若林の言葉ばかりで申し訳ないのだが)芸能界で覇王になる人達は、そこで曲げずに人の意見を通せる人。良い意味で周りに合わせない。自分達の教科書で生きていく人達だと。そして文字通りそれが教科書になって後輩達が真似をしていくんだと。

 このしくじり先生を見た時に、芸能界でも私が悩んでいる様に、自分の色を押し通すことは難しいことなんだと思った。

 Cの意見を通すためには、何度か壁にぶつかり、それでも諦めないで、めげないで貫き通す強い意志が必要なのだろう。

 これが自分の好きなことまた仕事に対して本気で取り組んでいる人ならそこまで頑張れるだろう。ただ私自身今のところそこまで仕事に熱量がない。食べていくために仕事をしているから。
だから自分を殺して生きていけばいいのかなと今のところは思っている。

 ただ仕事場での仕事以外の会話やプライベートの場面では自分らしく生きていきたいと思っている。でも自分らしさってなんなのだろうか。ただ一つ思うのは、コットン西村の顔が納得してないのを見て嬉しく思ったてことは、私自身、迷ってる人。それでも曲げたくない人が好きなんだなと思った。

 とりあえず、仕事は別にやりたくもない事をやっているから、プライベートぐらいは好きな事をして生きて行きたいと思う。そしたら少しは「らしさ」がでてくるのかな。そして誰かにとってのコットン西村の様に応援される人になりたいなと思う。



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