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人生なんて偶然に決まる

最近、コテンラジオを聞き始めた。

だいぶ前から、妻から存在を聞いていて、面白そうだなと思ったけど、どうやったら聴くことができるのかわからず、かといって積極的に探しにいく気も、なかなか起きなかった。

たぶん初めて名前を知ってから、1年ぐらい経ったと思うが、先日、釜石から鈴鹿への移動中に聞いてみることにした。

なにしろ遠いので、その時間もなるべく有意義に使いたい。

歴史の勉強は、何かの役に立つかもしれないと思ったわけだ(その割には遅かったが)。

その時は、第一次世界大戦中に活躍し、現在のトルコ共和国を建国したムスタファ・ケマル・アタテュルクの話を聞いた。

実のところ第一次世界大戦のことはほとんど知らなかったし、現在のトルコがどようにして出来たかなど知る由もなかった。

まして、ムスタファ・ケマル・アタテュルクの名前をおいてをやである。

小学生の頃から歴史が苦手で、高校では私立理系コースだったので、一応世界史を専攻したけど、ほとんど勉強はしなかったのだ。

ところが、このケマルの話がとても面白くて、シリーズを一気に聴いてしまった(今計算してみると、5時間以上ある)。

歴史を、一人の人間を主人公として、優れたところや、ちょっと変わっているところ、失敗なども含めて、面白おかしく語ることで、エンターテイメントになるということに驚いた(なるほど、それが叙事詩か)。

これは素晴らしいコンテンツだということで、一番最初にさかのぼって、聞き始めたという次第である。

1回目の放送では、出演者の一人、株式会社コテンの楊睿之(ヤンヤン)氏が、なぜ歴史に興味を持つことになったかが語られていた。

もともと理系志望で歴史が嫌いだった同氏は(僕と同じである)、大学生の時、先輩に誘われてある集会に行った。

その集会は、保守系の団体が開催しており、そこでは登壇者が歴史について語っていたという。

保守系というところから推測すると、日本の歴史上の人物を賛美する内容だったのではないかと思うが、それがたいそう面白かった。

単に人の名前や国の名前や、年号を覚えるだけの歴史の科目は面白くないけど、人にフォーカスしたドラマとしてみれば、歴史は面白いことに気づいたのだ。

それで歴史に興味をもって、勉強をはじめ、歴史に詳しくなったということだ。

話はこれだけなので、わからないところはいろいろある。

たとえば中国系の楊氏を、保守系の集会に誘う先輩の意図を測りかねるところがあるが、そもそも保守系という言葉だけでは、その団体の活動趣旨や立ち位置もよくわからない。

ともあれ、集会の意図とはおそらく関係なく、英雄譚的に語られる歴史という部分に刺激され、同氏の運命が決まったところが面白い話だと思った。

今読んでいる「人類の深奥に秘められた記憶/モアメド・ムブガル・サール」という本には、ハルキムラカミ(村上春樹)が作家になったきっかけが語られている。

アフリカ系フランス人の作家の本だが、唐突に村上春樹が出てきて驚いた。

それはさておき、村上春樹が作家になろうと思ったのは、野球の試合を見に行って、そこでボールが飛んでいくのを見たことがきっかけだそうだ。

ちょっと意味が分からない…

20世紀最後の巨匠、建築家ルイス・カーンが、ドキュメンタリー映画の中でこう語っている。

人生なんて偶然に決まる

ルイス・カーンが高校に通っているとき、教科にない特別授業のようなものがあった。

それがギリシャやローマの建築の話で、とても面白かったので、建築家を目指すことにしたという。

ここで、僕自身の話になって恐縮だが、コテンのヤンヤン氏同様、高校では歴史が嫌いだったこともあり、あまり積極的に選んだわけでもなく、理系クラスに進んだ。

大学進学の際には、いよいよ進路を選ばないといけないということで、建築学科を選んだ。

なんとなく理系の中ではかっこいいかなと思ったのだ。

そして建築学科に通う大学4年の時、阪神大震災が起こった。

建築を志すものとして、現地に行かなければいけないのではないか、現地を見て同じ悲劇を繰り返さないような、建物を作らなければいけないのではないかと思った。

しかし、当時の僕の行動力では、現地に行くことが難しくて、また卒業研究と就職のタイミングでもあって、結局、一度も行くことはなかった。

後年、少しずつ後悔の念が募りはじめ、いつしか次に大きな災害が起こったら、必ず被災地に行こうと思うようになった。

そのことが、2011年に東日本大震災が起こった際、発災後3週間という、比較的早い時期に、被災地を訪れる原動力になった。

そして、破壊された町や建物の光景を見た瞬間に「ここで建築を作ろう」と思った。

といっても、実際には迷った時期が半年ぐらいあったが、約1年後に、最初に入った被災地である、釜石に移り住み、復興のための建築を作ることになった。

元をたどれば、たまたま建築学科を選んで、在学中に阪神大震災が起こったことが、僕の運命に大きな影響を与えている。

ちなみに、現在の妻と出会ったのも釜石である。

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