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故郷を想う

開場時間からたった数分後。
一歩会場内へ足を踏み入れるとほぼ満席の客席

左端、前列から4列目辺りの席を見つけ座った。
座った瞬間、舞台セットに目を奪われた…
圧倒されるというか、惹き付けられるというか、
まだ始まっていない舞台セットにこんなにも観入ってしまったのは初めてかもしれない…不思議な感覚。

今日は両国シアターX、〝海村〟を観に。高校時代、合同ミュージカル等でお世話になった柾谷伸夫先生の一人芝居
数日前に公演の事を知り、急いでチケットを取ったのだ。

どんどん席が埋まっていく。

満席の状態で、
鮫神楽〝墓獅子〟から始まった。

パンフレットより

私は鮫で生まれ育ったわけではないので、正直、
墓獅子の存在も知らなかったし、観るのはもちろん初めてだった。

あの世にいる魂達を慰めるかのような獅子頭。
見えない人達がそこに集まってくるかのように感じた。

正吉によって語られる、墓獅子の事、鮫やかじぎ(海士)の事。南部弁での語りにも心が温まる。
活気に溢れた漁村の様子を聴いていると、その様子が目に浮かんでくる。子ども達の声やウミネコの声、人々の話し声やその生活の様子に、生きることの面白さや豊かさそして、幸せを、心で感じとることが出来る。

近代化が進められる八戸湾、自然災害、変わっていく漁村。
その歴史や起こった出来事を通して知る八戸の事、そこで暮らしてきた人々の事。
胸が苦しくなる場面も。

島を、浜を、岩を。魚や貝や鳥達を。
大事にはしていない、身勝手な人間達の開発。

あの世から鮫を見守る正吉の、鮫で共に生きてきた漁村の人々の、鮫に生きる全ての命達の叫びや祈りが胸に刺さった。

魂が震える、圧巻の舞台でした。

アフタートークを聴いていて、ふと先日見たフジコ・ヘミングの映画での言葉を思い出した。
〝日本は嫌い。常にそこにあるものを壊しちゃ
新しいものを造ってる。新し物好きなのね。〟
チクッと刺さった言葉だった。私自身、新し物好きなところがあるから。次から次へ、古いものは捨てて新しいものへ…
新しいものを生み出すことも、もちろん大事だとは思う。ただ、行き過ぎてしまってないか、今一度
考え直す時なのだと思う。
〝今、目の前にあるものを大切にできているか〟
〝本当に、新しいものが必要なのか〟
丁寧にそこを探っていけば、劇中感じた、生きることの面白さや豊かさ、幸せは目の前にあるし、ぎゅっと中身の詰まったそれらの感覚を感じられる気がする。
〝無いものを遠くに探して、虚しさを感じていないか〟日々の生活の中で見直すことは出来ると思う。

もう1つアフタートークで印象に残った言葉。

〝どんなモノでも生きている。この獅子頭だって…
この獅子頭が、ここに来たがってたのかもしれないしね。〟
1800年代くらいに造られた獅子頭だったそう。
ずっとずっと受け継がれてきた獅子頭。
そういえば、祖父母は海側で暮らしていた時期があったような…どこに住んでいたのかは定かではないけれど…
もしかしたら、この獅子頭の音を祖父母も聞いていたかもしれない。

そうか、初めに舞台セットに感じたものはこれだったんだ。〝生きてる〟
舞台セットとして生きてるんじゃなく、当時の鮫が、正吉の住む世界が、ここで〝生きていた〟んだ。なんだかふと、そう思った。
ついでの話だけど、セットのお墓にあった家紋、
うちのに似てる。うちのは菱形じゃなく正方形。
丸に平四つ目。ちょっとご縁を感じてみたり。

帰り道、両国駅に飾られたお相撲さん達を眺めながら祖母の事を想った。
大の相撲ファンだった…
もうすぐお盆。
もしかしたら、一足先に帰ってきてて、私が観劇している間に両国観光してたのかも、なんて思った。


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