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【🌍私の地球カリキュラム㊱】 車椅子女子として社会復帰を果たす♿️


難病障害者となり、
一年半実家で引きこもり生活ををしていた私は、一人で車椅子に乗って障害者として、
社会復帰をする。♿️

車椅子で社会に出るのは、かなりのドキドキであった。

一歩外に出ると、
人の目がものすごく気になったが、
スーッと平気な顔をして、会社に向かった。

車椅子に乗っているだけで、
悪目立ちしてしまう、会社ではけっして目立たずスーッと仕事をしようと心に決めていた。

私は障害者、普通の人より出来る事は少ない。

パート雇用なので、正社員さんの事務補助をさせていただけるのだと思っていた。

書類のファイリングやホッチキス止め、郵便物の仕分けやデータの入力など、単純作業をするのだと思っていた。

しかし、私の考えは甘かった。(-_-)

職場に入ると、
人がバタバタと動いていて、あちこちで電話が鳴り響いていた。

皆さん大忙し。
仕事を教えてもらえる雰囲気ではなかった。
(。-_-)

入職して2週間ほどは、
新人に仕事を教える時間も無いくらい忙しくされていて、ほぼ放置プレイだった。

私の他にも2名、
他の部署から異動して来た社員さんがいたが、その方々も放置プレイされていた。
1人では無いことに少し安堵した。

どうやらここは、
新しく出来た部署らしく、
元々あった部署が2つに分裂して4月から新たに始動しているらしかった。

次長、課長も新たにこの部署に配属になり、
状況を把握するためにバタバタしていた。

今まで、
次長や課長の肩書きが付いた人が居る職場で
働いたことのなかった私は、本当に次長、課長っているんだなーなんて、すっとぼけたことを思っていた。

2週間たって、やっと仕事の説明があった。
うん???思ってたんと違うー〜。( ̄▽ ̄;)

物品の購入・管理や様々な入力、働く人の配置、などなど仕事の量が膨大だった。∑(゚Д゚)

次から次に仕事が湧いて出てきた。

右も左も、何も分からない。
やった事のない仕事。
それも簡単ではなく無理難題。
ルールが沢山ある。
誰かが丁寧に教えてくれる訳でもない。
分からない時に、誰かに聞ける雰囲気でもない。
頭がハゲそうなくらい壮絶な職場であった。
( ;∀;)

上司も細かく厳しい人で、細かいことを
「これはどうなっとん、わかっとるん」と
いちいち厳しい口調で指摘してくる。

それが日々続くと、
上司のハンコをもらう書類を提出するのが、
震えがくるほど怖くなった。

入職して半年は、
同僚の人とも仕事以外の会話をすることは無かった。

自分の苦しい胸の内を吐き出すことも出来ない。
勤務を終え職場のドアをくぐり、外に出た瞬間に目から涙が溢れ出た。(T ^ T)

毎日、毎日泣きながら家に帰った。
涙目では、唯一立ち寄れるコンビニにも入ることが出来なかった。

1人悶々とする日々。(。-_-。)

〜・〜・〜

やっとの思いで、
山の上の牢獄(実家)から脱出して、
自由を手に入れ、車椅子に乗り、
自分らしく生きて行こうと。

夢と希望に胸を膨らませていた私だが、
そんな思いは一瞬で消し飛んだ。(T-T)

また、辛い日々が待っている。

難病障害者となり、
日々生きているだけでも辛く苦しいのに、
仕事でもこんな苦しい思いをするなんて。

私の人生はいったいどうなっているのやら。

この地球🌍という星に、修行をするために生まれ出て来たのは分かる。

だがしかし、
あまりにも試練が多いのではなのか?(T ^ T)

生きているのがまた嫌になった、
精神的にもかなり追い詰められた。

どん底に落ちて、這い上がる事も出来ない苦しみを味わった。

半年ほどして、
やっと同僚の方と少し話をする事が出来る様になったが、仕事は忙しく、話せる時間はごくわずかだった。

そんな中、
滅多に鳴らない私の携帯電話が鳴った。

伯母からの電話であった。📞

伯父が亡くなったと。

車椅子人間の私は、色々と考えなければならなかった。

    【私の地球カリキュラム㊲】へつづく









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