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あの頃も「花束みたい」だったのかな

春に観た映画の話を今頃載せてみる。下書きを勢いで書き散らしてそれきりになっていたもの。

4月、今の町に住んでから初めて映画館へ行った。隣の市にひとつだけある映画館。半年前から持った小さな車を運転して、ひとりで。

観たかったのは「花束みたいな恋をした」。

撮影地が京王線沿線で、大学時代に見慣れた風景がたくさんある、という噂を聞いて気になっていた。しかしながら、話題のラブストーリーをひとりで、というのはなかなかに気恥ずかしく。しばらく迷ったが、上映終わり間近と知って思いきって行った。

チケットを買って、キャラメルポップコーンの匂いのするロビーを抜けて、ふかふかの椅子に座る。「携帯電話は電源を切らず音の出ないモードに」という上映前の注意に、そうかコロナの接触確認アプリとの兼ね合いか、と今を感じた。

場内の電気がふっと落ちる。そんな簡単にラブストーリーに感動なんてしないけどね、もういい大人だもの。と、ちょっぴり斜に構えつつスクリーンを観ていると、すぐにある言葉に目を奪われた。

「2015年 21歳」

主人公たちふたりの出会いの年と歳。彼らは私とまったく同い年だった。驚いた。

その偶然がなかったとしても、きっとこの作品はとても素敵だった。だが、主人公たちと自分が同じ時に同じ街に生きていた、と思った瞬間、登場人物たちの輪郭はもっとくっきりとし、街の色も鮮やかになった。単純なものだ。

彼らの揺られている電車、向かいの席にうたた寝をする自分がいるのではないだろうか。調布PARCOのブックセンターですれ違っていたのではないだろうか。

そんな不思議な感覚を味わいつつ、ほんの1年余り前には自分がそこにいたのに、すでに懐かしいものに感じる景色と、自分と同い年の主人公たちの人生の一幕を見つめていた。

この時間がずっと続いてほしいと思ってしまうくらい、愛おしかった。

ここから先は私の昔話だ。

私の大学には中央線利用、京王線利用、とふたつの最寄り駅があった。だが、京王線の駅から大学は最寄りと言いつつも徒歩だと20分以上の距離。多くの人は中央線を使っていた。

私も初めは中央線ユーザーだったのだが、1年目の冬に京王線に切り替えた。なぜわざわざ学校まで遠い京王線にって。なんのことはない、当時付き合い始めた恋人の家が京王線沿いだったというお話である。

その頃、北海道から出てきて半年余りだった私にとって、東京はまだ全く自分の場所ではなかった。中央線の駅はどこもテレビの中で耳にした名前で、いつまで経っても自分はおのぼりさんの気持ちだった。

京王線を使い始めてから、学校への最寄り駅近辺に、徐々に馴染みの場所というものができた。

駅前のスーパー。早朝から営業しているおだんご屋さん。地元を愛するお兄さんがひとりで切り盛りする理容室。

恋人とどこかに行く時にもよく京王線を使った。府中に映画を観に行ったり、高尾山に登ったり、調布PARCOのブックセンターでぶらぶらと本を見たり。東京の中に、お気に入りと言える場所が少しずつ増えた。

子どもの頃電車がすきだったんだ、運転士になりたかった、と言っていた恋人。今でもそうなのだろうか。もっとその背景の物語を聞いてみたらよかったなと今になって思ったりもする。

優しくて誠実な人だった。恋人という関係でなくなってから今までの5年余りの中でただ一度だけのやりとりが、一昨年の地震に伴う全道ブラックアウトの時、私と私の家族を心配して送ってくれた一文だった、と言えば人柄が伝わるのではないかと思う。

私は同じだけ誠実でいられたのだろうか。昔から人とぶつかることが怖くてしかたない私が、すきな人との食い違いを恐れずにいられたわけがなかった。

いつも先回りして恋人が望む自分であろうとして、意見の差異を感じる時にはそっと目をそらして飲み込んで。それは決して優しさではなくて臆病であっただけ、と今になって思う。

大学を留年している自分と堅実に真っ当に働き始めた恋人とを勝手に比較して。がんばれない自分をますます愛せなくなって。

しかし、いわば身から出た錆な現状に対する心苦しさなんて、そんな話できるはずもなかった。

がんばらなきゃ、早く自分も真っ当にならなきゃ、という焦りとはうらはらに一晩中膝を抱えて白む空を眺める日は次第に増えた。

もしかして今自分の心は元気じゃないのかもしれない、とうっすら自覚する頃には、もう休日に目が覚めてもベッドから起き上がる気力すらわかなかった。

約束を何度もすっぽかした。それでもなじられることはなかった。恋人は恋人でいろいろな気持ちを飲み込んでいたのだろう。それを思うとますます申し訳なさが募った。

恋人に、もう今の関係で一緒にいることはできない、と切り出したのは冬だった。理由となる物事はすべて私自身の問題で、相手には何ひとつ非はなかった。

当時もそのように話したけれど、今思い返すと、あなたは何も悪くないのだけれど、という言葉は一見優しいかのようでいて、実は、あなたが何をどう変えようと結論は変わらないけれど、というとてつもなく残酷な言葉だったのではなかろうか、と考えさせられる。

自分で言うのもおこがましいことではあるが、母から「外面良し子」と呼ばれるくらい外面のよい私は、昔からよく周りの人に「優しいね」と評価してもらっていた。

しかし自分に最も近しいひとりだった人のことを、最後の最後にきっと傷つけていた。5年経ってもあの時どうすればよかったのか、どんな言葉で伝えればよかったのか、その答えはわからない。

後悔というわけではない。けれども、この先の人生でもきっとたびたび私はあの日の会話を思い出してぼんやり考えるのだろう。

決して綺麗ではない思い出もかばんの隅っこに忍ばせて歩いていくのが人生かも、なんて27歳の私は訳知り顔をする。

恋人と別れてからの数年間、ひたすら自分の思うままに生きている。誰の意見も求めずに住みたい土地を選び、憧れだった仕事に就いた。休日はその日の気分でふらりと出かけたり本を読んだり。

「やっぱりひとりでいる方が自分らしくいられる気がするなぁ」「あの頃は勝手に気を遣ってばかりいたなぁ」という考えが頭をよぎる。

でも「花束みたいな恋をした」を観ている時間、スクリーンの中のふたりに重なって思い出されるかつての日々は紛れもなくきらきらしていた。

あぁやっぱりあの時間も楽しかったなぁ。5年余り経っても小さなきっかけひとつでよみがえる、こんなにもたくさんの思い出を持たせてもらったんだなぁ。

自分で終わりを作っておいて今になって美化するだなんて、まったく虫のいい話だとは思いつつ。しみじみと、素直に、あの頃はありがとうございました、と心の中でつぶやいた。

何か昇華されたような気持ちにもなり、同時に、最後の最後まで「ごめんなさい」で終わらせる状況を作ってしまったことをごめんなさい、と思う。

映画の二人のように「楽しかった」「ありがとう」と締めくくれたらよかったのに。

映画のように美しい場面ばかりではなくて、ちっとも完璧でなくて。けれどもそんな自分の人生も今はちょっぴりどこか愛おしく思っている。

今日も季節の移ろいを感じながら、平凡だけどあったかい人生を、一歩一歩。

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