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「龍神さまの言うとおり。」第五話

上海で偶然にも再会した洋介と恵子は、ホテルのラウンジにあるソファーに座った。そこで洋介は、数年前から上海で単身赴任をしている恵子の夫が、中国人の若い女性と不倫関係になり、しかも現在、その女性が妊娠していることや、急に夫から離婚をしたいとの申し入れがあったことを聞いた。そのため、恵子は急遽、日本から子供を連れて上海へ来ていたのだった。

偶然の出逢いという驚きのせいもあってか、洋介は話を聞きながらも、なぜか、そんな恵子を放っておけないと思い始めていたのだった。そして、疲れた表情を見せる恵子の傍らで、無邪気に微笑む子供たちを見ていると、自分がこの子たちの父親になってもいいと思うようになっていたのである。

日本へ帰国した後しばらく経って洋介が、そんな思いを伝えると恵子は、若干戸惑うような反応をみせたものの、数か月ほど子供たちの反応をみながら前向きに考えたいと告げた。その言葉通り、時間をかけて、洋介の気持ちを幾度となく確かめた恵子は、数ヵ月後に離婚を決意し、日本の弁護士を通じて協議離婚をしたいと上海に住む夫に伝えた。

すでに、天然石ジュエリーデザイナーとして一定の収入を得ていた恵子は、慰謝料や養育費などの金銭的な要求を夫にすることはなかった。ただ唯一、子供二人の養育権だけは、自分に帰すことを主張した。そして、すべての手続きを終えた一年後、洋介は恵子と結婚したのである。

保護者会の後、牛込柳町駅から新宿の都庁前駅へと向かう電車の中で、恭子は頷きながら、洋介の話しに耳を傾けていた。

「三河くんも、いろいろあったのね」

「いまの北山さんに比べれば、そんな・・・」

「ふふっ」

「何か、可笑しい?」

笑いを抑えようとする恭子の仕草を見て、洋介が不思議そうに聞いた。

「お年寄りの方って、これまで経験してきた苦労を自慢するように話すでしょ?私たちも、そんな風に会話をしてる気がして・・・」

「実際いまは、それなりのお年寄りになったけどね」

洋介の言葉に、再び笑顔を見せた恭子は、その後すぐに真顔になって話し始めた。

「さっきの、仮面を付けて本当の自分を隠すって話し、もしかして三河くんも本当の自分を隠したまま仮面を付けてきたんじゃない?」

「えっ?」

洋介は、自分でも何となく思っていたことを、ズバリと言われたことから、しばらく黙り込んだまま恭子を見つめるしかなかった。

「確かに。偽善や自己犠牲という仮面を付けて生きていたかもね。自分自身そんな風に考えたこともあるし。でも・・・、いま気づいたんだけど、高校時代から、すでに仮面は付けていた気がする。好きな人からの求めに応えることができなかった・・・、あの時から」

「それって、私のこと?」

洋介は、黙って頷いた。

「じゃあ、あの頃の私に対して仮面を付けていた理由、何だったの?」

「ん~、何だったんだろうね・・・」

洋介が、はぐらかすように、そう言った時、電車は都庁前駅に到着した。

新宿のランドマークでもある東京都庁は、高層ビル群の広がる西新宿エリアの中心部にある。

都庁前駅に到着した二人は、腕を組んだままで、地上出口から新宿中央公園沿いを走る方南通りへと向かっていた。先ほどまでの雨は、すっかり上がって、空には白い雲間から青い空が顔を見せ始めている。そして、方南通りに出た二人は、ヒルトンホテルの斜向かいにある新宿中央公園に入ると、公園内に建つロッジ風の二階建て施設へと進んだ。

最近オープンしたこの施設には、レストランやカフェの他に、ヨガスタジオやボルダリングジムが入居している。土曜の午後とあって、一階のカフェは多くの若者や家族連れでにぎわっていた。そして、テラス席の向かいにある公園の芝生では、レジャーシートを広げた人々が思い思いの格好で寛いでいる。

「まずは、注文しようか」

恭子と腕を組んだままの洋介は、そう言って注文カウンターの列に並んだ。

「この一帯って、江戸時代には花街があったらしいよ。確か、公園の反対側が十二社(じゅうにそう)通りで、そこには池がふたつあったんだって。今はもう埋め立てられて無くなったけどね。でも、通り沿いのバス停の名前は、『池の上』といって、その名残があるんだよ」

「そうなんだ~、池にはご縁があるのかもね、わたしたち」

そんな話に洋介は、故郷の大島なる龍王池での出来事を連想しながら飲み物を注文した。そして、程なく出来上がったアイスコーヒーをトレイに載せると、二人は腕を組んだまま、空いたテラス席を探した。

「あっ、よかったらどうぞ。僕たち、これから行くところがあるので」

ちょうど通りかかったテーブルに座っていた若いカップルの男性のほうが、洋介に声を掛けてきた。

「あっ、どうも。ありがとう、助かります」

洋介は、そう言うと、恭子と組んだ腕を離して、そのテーブル席に腰を下ろした。

「やっぱり、北山さんと一緒にいると、ツキがあるのかな」

「ふふっ、どうなんだか・・・」

恭子は笑いながら、公園のほうへ視線を向けた。

「あっ、いた・・・。ほら、あそこ。雲の間に・・・」

恭子は、空を指さしながら、洋介に告げた。

「ごめん、さっきもそうだけど僕には見えないな。もしかすると、あの空にいる龍神さまって、北山さんを守っているのかもしれないよ」

洋介は、恭子が指を指す方向を見ながら言った。

「そうかなぁ~。でもね、三河くんと一緒にいる時だけ見えるのよ。ちょうど二十六年前もそうだったし」

そう言って恭子は、「二十六年前の夏に八幡浜の港からフェリーに乗って行った大島で見て以来、これまで龍神さまの姿を見た事はない」と話した。

「あの時か~。それにしてもさ、不思議な体験だったよね」

洋介は、そう言いながら、今度は明確に、かつて二人で訪れた大島での出来事を思い出していた。

二十六年前・・・。

愛媛県の八幡浜港と、その沖合にある大島を二十分ほどで結ぶ小型の高速フェリーには、洋介と恭子を含めて合計八人が乗船していた。

偶然に、自動販売機の前で出会った恭子と大島へ行くことになった洋介であったが、つい先ほどまで降っていたスコールのような雨は、乗船前には止んでいて、空には再び青空が広がっていた。

午前十一時半。高速フェリーは定刻通りに八幡浜港を出発した。

「大島には、龍神伝説があるの知ってた?」

高速フェリー内の座席に、恭子と並んで座る洋介が聞いた。

「ううん、知らない。どんな伝説なの?」

「八幡浜市内に五反田っていう町があるの、知ってるよね。そこに保安寺という寺があって、その裏には小さな池があって・・・」

そして洋介は、以前に八幡浜の市立図書館で読んだ”龍神のわたり”という伝説を、次のように話し始めた。

保安寺の裏にある小さな池には龍神が棲んでおり、成長するとともに体が大きくなったことから、手狭になった池を出て大きな池へと引越しをする必要があった。そこで、対岸に見える大島の龍王池に目をつけ、そこへ渡るために美しい女性に変身したのだった。

そこで美しい女性は、通りかかった貧しい漁師に声を掛けて、その船に乗せてもらうことにしたのだった。これが、”龍神のわたり”として呼ばれた経緯である。そして、無事に大島へ到着した龍神の化身である美しい女性は、そのお礼にと、今後の大漁を約束した。但し、それは龍神の化身である自分との約束を絶対に口外しないという条件付きであった。

やがて、貧しい漁師は、約束通りに大漁が続いたことで大金持ちになったのであるが、そのせいか、言動が横柄になり、口外しないと約束したはずの美しい女性に化けた”龍神のわたり”のことを誰彼となく口外してしまう。すると、今度は不漁が続く事態となり、漁師は元の貧乏な暮らしに戻ってしまったのである。

ただ、元の棲み家であった保安寺に対して龍神は、かつての恩を忘れることなく、住職の雨乞いに対しては、どんな日照りが続く時でも必ず雨を降らせたという伝説である。

「へ~、そんな伝説があったんだ~」

恭子は、洋介の話しを興味深く聞き入っていた。

「この伝説、まだ続きがあるんだよ」

「えっ、そうなの?教えて、教えて」

恭子は、せかすように洋介のほうを見て言った。

「大島に渡った龍神は、美しい女性に変身したけど、実は男性の龍神だったらしい。そして、八幡浜市の南にある三瓶町の池には、以前から女性の龍神が棲んでいて、距離を隔てもお互いの心は通じ合っていたことから、やがて恋仲になったんだ。そして、その女性の龍神も人間の女性に変身すると、漁師に頼んで大島に渡ったという話しだよ」

恭子は、ロマンチックな伝説に感動したのか、ただ黙ったまま、洋介を見つめていた。

「北山さん?」

洋介の問いかけに、ようやく反応した恭子は、我に返ったように正気を取り戻した。

「女性の龍神は、今も男性の龍神と幸せに暮らしてるのね、大島の龍王池で」

「そう。その大島の龍王池だけど、元々は大入池という名前だったんだ。でも、この伝説から、龍王池と呼ばれるようになったらしいよ」

「行ってみたいわ、龍王池に」

「もちろん行くよ。生物部の大島キャンプは、龍王池のすぐそばにある海岸沿いの遊歩道にテントを張るからね」

洋介がそう言ったところで、周囲に座っていた人々が下船の準備を始めた。高速フェリーの窓からは、島影が近くまで迫って見えている。あれこれ二人で話しているうちに、片道二十分ほどの船旅は、あっという間に過ぎ去っていたのだった。

「じゃ、そろそろ、船の後ろにあるデッキに行こうか」

そして、二人は席を離れて、デッキへと移動した。

高速フェリーは、ゆっくりと速度を落とし、桟橋へと船体を接近させている。洋介は、その様子をデッキに立って眺めながら、潮の香りを胸一杯に吸い込んだ。船尾の向こうには、人口三百人ほどが住む家々が点在して見える。さらに、その背後には、濃い緑色に染まった山の急斜面が続いていた。

「ここの潮風は、八幡浜の港とは違う感じがするんだよね」

洋介が、ゆっくり深呼吸して言うと、恭子も同じように深く息を吸った。

「確かに、何か違うわね」

「そう。癒される~って感じかな」

洋介は、付け加えるように言うと、船を下りて桟橋へと向かった。この先には、海の幸を低価格で味わえる食堂がある。

「あそこだよ、例の食堂。ちょっと寄って行こうか」

洋介の後を、恭子は物珍しそうに周囲を見回しながら、小走りについていった。港の近くにある食堂に入ると、中には二人以外に食事をする客はいなかった。去年の夏も生物部のキャンプで、この島を訪れていた洋介だったが、ここで食事をするのは初めてである。

「ん~、お腹一杯。ごちそうさま。北山さんの弁当、半分もらって食べちゃったから、おかげで満腹だよ」

洋介は海鮮丼を注文したのだが、恭子のほうは、おにぎりを持参していて、四個のうち二個を洋介がもらって食べたのだった。

「ううん、私も助かったわ。ママが多めに作ってくれてたから」

持参した弁当箱を片付けながら、恭子が言った。

「じゃ、行こうか」

洋介はそう言って、恭子と食堂の近くにあるレンタサイクルの店に行くと、自転車を二台借りて、龍王池のある地大島へと向かった。

第五話 おわり


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