「フレンパ」~友だち以上父親未満~ 第九話
十和子と出会って数日後、吾朗は初夏を思わせる暑さの中、携帯電話の地図アプリを片手に見ながら、渋谷・神宮前にある表参道のメインストリートを歩いていた。
「ちょっと調べたいことがあるから」と、会社のチームリーダーに告げ、平日の午後、港区にある帝国通運本社を出た吾朗は、表参道の人波につられるように歩調を合わせながら、数日前に飲茶をした際に十和子と交わした会話を思い出していた。
「亜矢子さんって、カラオケボックスでの騒動があった後、すぐに会社を辞めたけど、今は何をしてるの?」
吾朗は、十和子との会話から、自分の何気ない言葉が亜矢子の気持ちを傷つけてしまっていたことを知り、今の様子が気になっていた。
「アプリ開発の専門学校に通った後、士業の先生に頼らず自力で会社を作ったのよ。社員は自分ひとりだけど、社長をしてるわ」
十和子はそう言って、亜矢子が設立した会社、WAP(ワップ)が所在地としているシェアオフィスの住所を教えてくれたのである。そして、そのシェアオフィスは、表参道のメインストリートと、明治通りが交差する神宮前交差点にほど近い、通称キャットストリートと言われる小さな路地の通り沿いにあった。
「ここか・・・」
小さな立て看板の表示に従って、吾朗は、シェアオフィスの入り口前にある中庭のような空間に入っていった。ここには、多くの会社が入居しているらしく、入ってすぐの右手には、各社の名前を表示した郵便ボックスが、まとまった状態で設置されている。その中には、十和子に教えられたWAPの社名が記載された郵便ボックスもあった。
吾朗は、セキュリティ上、勝手に入ってはいけないと承知しつつも、恐る恐る一階の入り口を開けようと、ドアノブに手をかけたのだった。
「こんにちは~」
突然、背後から若い女性の声が聞こえた。そして吾朗は、その瞬間、ハッとしてドアノブから手を離した。
「すみません。こちらに入居されている方に用事がありまして・・・」
そう言いながら、振り返った吾朗の視線の先には テイクアウトのコーヒーカップと紙袋を持つ若い女性の姿がいる。それは紛れもなく若山亜矢子の姿であった。ブルーの半袖ブラウスと白のパンツというファッションセンスは、十和子の影響があるように感じる。三年前に、カラオケボックスで吾朗の隣に座っていた亜矢子よりも、今の彼女は幾分か大人びて見える。
亜矢子は、吾朗を見ると一瞬だけ驚いた顔をしたものの、パッと表情を変えて「綾島次長?」と怪訝そうな顔で聞いてきた。
「ごめん。アポなしで、急にお邪魔しちゃって・・・」
頭のうしろを掻きながら、さらに吾朗は照れくさそうな表情で、「もう、次長じゃないけどね。今は・・・」と言いかけたところで、言葉を止めた。
「一般社員、でしたっけ・・・。数日前に母から聞きました」
亜矢子が吾朗に近づきながら、言葉の後を引き受けるように、そう言ったからである。
「そんな、一般社員なんて、気を使わなくても・・・、平社員でいいよ」
「あの・・・、これまでのこと、すべて母から聞きました。それと近いうちに綾島次長が、ここへ来るかもしれないってことも」
「そっ、そうだったんだ・・・。でも、あのっ、その次長ってのは・・・」
「ふっ、そうでしたね。じゃあ、綾島さんということで」
微笑んだ口元を手で隠しながら、そう言う亜矢子の表情には、吾朗に対する警戒心や敵対心は見当らない。そんな亜矢子の表情を見て、若干の安心感を覚えた吾朗であったが、勇気を振り搾る覚悟で、次の言葉を切り出した。
「忙しいかもしれないけど、ちょっと話せるかな?」
「ええ。それじゃ、ここでもいいですか?」
亜矢子は、そう言って、ふたりの間に置かれてあった、テラス用のテーブルと椅子を手で示し、「どうぞ」と、吾朗へ座るように促した。
「ありがとう」
そう言いながら、椅子に腰をかけた吾朗は、この段階で相当のエネルギーを費やしたと思えるほどに脱力感を感じていた。それは、額から滲んで、こぼれ落ちる汗たちが物語っていた。
「ちょっと、暑いですよね。天気もいいし」
亜矢子は、そう言うと、テーブルに置いたテイクアウトの紙袋から、紙ナプキンを取り出して、それを吾朗に渡した。
「ああ、汗ね。そんなに汗かきじゃないんだけどなぁ~。ありがとう」
吾朗は、亜矢子から紙ナプキンを受け取りながら、独り言を言うように話し、額の汗をぬぐった。
「あの、お話しというのは・・・」
「あぁ、そうそう。昨日、WAPのホームページ、見させてもらったよ。すごいね。自分でアプリ製作してるんだって?大したもんだよ」
吾朗は、三年前のカラオケボックスで亜矢子に放った心ない一言について、謝りたいと思いながらも、口は勝手に別のことを話していた。
「いえ、そんなことないですよ。まだ未熟なんだと思います。その証拠に、作成したアプリを企業に売り込みに行っても、まったく相手にされない状況ですし」
「確か、企業向けインハウス・アプリだよね。企業内で働く社員しかダウンロードできない多機能のコミュニケーション・アプリ」
「ええ。感染症対策が必要な今だからこそ、対面での会議にナイーブな企業には、かなり使えるアプリだと思ったんですが・・・」
そして亜矢子は、このアプリが企業内の支店や事業部どうしの壁を取り払う、クロス・ファンクション的なツールとして考案したことを話した。
「その発想、すごくいいと思うよ。さすがだね。あっ、そうだ・・・、もしよかったら、この資料を後で見てくれないかな。そんなアプリなら、バージョンアップに使えるかもしれない」
吾朗は、そう言いながら、大判の茶封筒をブリーフケースから取り出すと、中から少し厚めのプレゼン資料を手にして、亜矢子の前に置いた。
「ワン・ブランチ・ワン・ミッション・プロジェクト?」
つぶやくように資料の表紙を読み上げた亜矢子は、それを手にパラパラとめぐり始めたのだった。
「これは、私のように、社内で肩書きをなくしたシニア社員を活用する目的で作ったプレゼン資料なんだけど、一般の社員にも使えると思ってね。内容を少し手直ししたんだ。要は、支店や事業部、さらには日本や海外といった所属する場所の枠を超えて、社員同士が新規案件やプロジェクトに自主参加する企画だよ」
吾朗は、さらに、支店が作成するプロジェクトのマスタープランには、必要な人材とミッションをブレイクダウンして、社員に配当されるフィーをポイントで表示すること。そして、実際にプロジェクトの中で、参加した社員のミッションが動き出し、その終了時に利益が出た場合は、その最終利益の半額を本社の割賦金から差し引いて、支店や事業部の取り組むインセンティブとすることを説明した。
「参加する社員へのインセンティブは?」
亜矢子が、興味を示したような表情で聞いてきた。
「複数の支店でプロジェクトに参画すれば、それぞれのミッションごとに提示されるポイント累計が多くなって、増えれば増えるほど人事考課やボーナス査定にプラス評価される仕組みを作れば、いいんじゃないかな」
「なるほど・・・、面白いですね。でも、このプラン、帝国通運社内で既に検討されているんじゃないですか?」
そんな亜矢子の言葉を聞いて吾朗は、先日の会議直前に、専任部長の仲城から、この提案について全く相手にされなかった時の情景を思い出していた。
「いや、これは私の個人的な思いつきで作った資料だから、まだ誰にも見せてないんだ。遠慮なく活用してもらっていいよ・・・」
「ありがとうございます」
そう言って、亜矢子は嬉しそうな表情で、資料を再度めくり始めた。
「あの・・・、もしかして、今日はこの件で来られたんですか?」
突然、何かを思いついたように亜矢子は資料をめくる手を止めると、吾朗を見つめながら聞いた。
「あっ、いや、その・・・」
吾朗は、言葉に詰まって何も言えなくなっていた。
「実は・・・、以前のことを、謝りたくてね。あの時、カラオケボックスで『忘れちゃった、とか・・・捨てっちゃった』って言ったことなんだけど」
恐る恐る発した吾朗の言葉に、亜矢子は一瞬、宙を見上げた。そして、改めて吾朗を見つめると、柔和な眼をして話し始めた。
「あの言葉の理由、母から詳しく聞きました。そして二十八年前、私を妊娠した時の母が、綾島さんに敢えて、その事を伝えなかったことも・・・。私が帝国通運にいた三年前って、まだ若かったし、綾島さんには、つい感情的な態度になってしまって・・・。ごめんなさい」
「いや、謝るのはオレ、いや私の方だよ。ごめん。本当にすまなかった」
吾朗は、そう言って両手を膝の上に置きながら、頭を下げた。
「それじゃ、長い時間、仕事の邪魔をしてもいけないから、このへんで」
吾朗は、これまでの曇った感情を断ち切ることができた嬉しさから、少し大きな声で、そう告げると、勢いよく椅子から立ち上がった。
「あの、もしよかったら、連絡先、教えて欲しいんですけど・・・。できれば携帯の通信アプリで」
亜矢子のリエストに、吾朗は携帯電話を取り出して、通信アプリを立ち上げると、自分のIDであるQRコード画面を表示させた。
「じゃあ、これで私たち、友だちになれますね」
「友だち?」
「いえっ、変な意味じゃなくて・・・、通信アプリでいう友だち申請の友だちってことですよ」
「なるほど、そういうことね」
吾朗は、複雑な笑みを浮かべながら、携帯電話の画面を見つめた。
「それじゃ」
携帯電話をブリーフケースに入れながら、吾朗は照れたような表情で、亜矢子にそう言うと、中庭の出口へと進んだ。
「あの・・・、プレゼン資料、ありがとうございました。今のモデルをバージョンアップさせて、なんとか売れるアプリを作りたいと思います」
背後から聞こえる亜矢子の声に、吾朗は振り向いて手を上げた。そして、嬉しそうに微笑む亜矢子の顔を、このとき吾朗は、しっかり自分の目に焼き付けたておきたい、そう思ったのだった。
第九話 おわり
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