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「フレンパ」~友だち以上父親未満~ 第四話

翌朝、吾朗は眠そうな眼を擦りながら、汐留エリアにある大手物流会社の本社ビルへと入っていった。昨晩、スナック・カノンのママである佳乃子から言われた『アイデアなら、これでもかっていうくらいに出せばいい』という言葉が頭から離れなかった吾朗は、ほぼ徹夜で、新たなシニア人材活用プランを考え出し、その提案資料を作成したのだった。

朝八時半近くにもなると、本社一階ロビーのエレベーターホールでは、出社する社員たちが列を作って、登りエレベーターのドアが開くのを待っている。吾朗も、列の最後尾に並ぶと、時折込み上げてくるあくびを手で隠しながら、エレベーターの階数表示を見上げていた。

「こりゃまた、すごか本社ビルやなぁ~」

「当り前くさ。本社から割賦金ば、毎月たんまり搾取されとるっちゃけん」

突然、吾朗の背後から、九州地方と思われる方言で会話する男性たちの声が聞こえてきた。

「もうちっと、苦労しとる地方支店のことば考えてくれんと、いかんばい」

吾朗は、平静を装いながらも、彼らの会話に耳を澄ませていた。おそらく本社で開催される研修のため、九州から出張で来ている社員なのだろう。彼らの主張は至極当然だと、吾朗も思わず納得してしまった。彼らの言う割賦金とは、本社機能維持として全国の支店に割賦される負担金のことである。それは、業績に連動して負担額が変動するのだが、たとえ高額の割賦金を納付しても、本社から支店に対するリターンやベネフィットは、ほぼ皆無に等しい。かつて、吾朗が都内の支店で営業次長をしていた頃は、そんな割賦金に対して不満を抱いていた記憶がある。

「なるほど。割賦金か・・・、新規事業提案に使えるな」

ドアが開いて、エレベーターへと乗り込みながら、吾朗は思わず小声でささやいた。

昨晩、吾朗が考えた新規事業提案とは、全国に広がる支店が最低一つの新規案件を設定し、そこに役職定年で一兵卒となったシニア社員を配置するという企画である。予め、全国のシニア社員が持つスキルや経験を本社でデータベース化し、各店の新規業務案件内容に応じて、本社がシニア社員をアサインし、進捗管理をするのが骨子となっている。今や、テレビ会議やリモートワークが、スタンダードなビジネスシーンとなった現状において、全国に散らばるシニア社員たちが、アサインされた案件を複数人数で、所属場所を問わず一緒に進めることは容易である。そして、吾朗は、この企画を、ワン・ブランチ・ワン・ミッション・プロジェクト(一支店一案件プロジェクト)と命名した。略して一支一案である。

ただ、この企画を実現させるためには、全国の支店が真剣に取り組むためのインセンティブが必要になる。昨晩から、その解決策を模索していた吾朗は、先ほどエレベーターホールで耳にした会話から、まさに、その答えをもらったのだった。

「コンセプトは固まった。あとは制度設計、マスタープランだな。まずは、稟議書の部長決裁、そして役員会議にかけて根回し承認をもらえば、あとは社長決裁、そして全国展開か・・・」

吾朗は、先ほどまで眠そうにしていた目を輝かせて、そうつぶやくと、本社ビル二十三階にある営業企画部内の自席に座った。

「綾島さ~ん。ちょっと・・・」

窓側の、ひな壇に座る専任部長、仲城秀幸の声である。末席に座ってパソコンを立ち上げようとしていた吾朗を、仲城が大きな声で呼んだのだった。吾朗の上司となる仲城は、これまで本社の総務や人事という、管理畑のエリートコースを渡り歩き、順調に出世してきた人物である。今後、そのキャリアに一層の箔をつけるためには、現在のポジションで何としても実績を残したいという、そんな仲城のギラギラした出世欲は、部内にいる多くの社員が暗黙のうちに感じ取っていた。年齢は吾朗よりも一回り若い、四十三歳である。

「おはようございます。専任部長、何か・・・」

席を立って、窓際の仲城の席へと駆け寄った吾朗は、何事かといった顔で聞いた。

「綾島さん。今日の部内会議には、担当役員の皆さんや社外コンサルが参加されますから、昨日のようなマイナス発言はしないように・・・、くれぐれも、お願いしますね」

吾朗にとって、今日の部内会議に役員や社外コンサルが出席することは初耳だった。チームリーダーをはじめ、他の社員からも、そういった情報は聞いていない。恐らく、このチームでは自分だけが、そういった重要な情報から疎外されているのだと、この瞬間、吾朗は心の中で悟った。

「承知しました。あと、別件でお話ししたいことがあるのですが・・・」

吾朗は、そんな忸怩たる思いを押し殺しながらも、平静を装って、仲城にそう告げた。

「というと?」

「例の、社内シニア社員向けの新規ビジネス案ですが・・・」

「また、何かリスクや、問題点ですか?」

「いえ、追加の新しい提案がありまして・・・」

そう言って吾朗は、少し誇らしげな表情をしながら、仲城に告げた。

「もう遅いですよ、綾島さん。昨日の会議で、すでに三つのセミファイナル案を決定したんですよ。しかも、担当役員の皆さんと社外コンサルには、説明資料をすでにメールの添付で送ってますから・・・」

仲城が、呆れたような顔つきで吾朗を見ながら言った。

「一応、将来的な検討材料の意味でも構いませんので・・・」

吾朗の少々強引ともいえる発言に、仲城は、ふてくされたような渋い表情をしながら、ため息をつくと、『どうしようもない人だな』と言わんばかりに椅子にのけぞりながらクルリと回転し、吾朗に背を向けた。

「失礼しました」

仲城の背中に向かって、吾朗はそう言うと、肩を落としながらデスクの並ぶ末席へと戻っていった。

午後三時。
帝国通運本社十四階の中会議室では、セミナー形式でセッティングされた席に総勢三十名ほどの営業企画部社員が次々と座り、皆一様に、スライドスクリーンの前でパソコンの接続状況をチェックしている仲城へ、静かに視線を送っている。

今日の会議は、シニア人材活用チームが企画立案した新規ビジネス案の検討会であるが、他のグループやチームも含めて、部内全体で意見交換することをメインとしていた。とはいえ、吾朗が他の社員による立ち話しに聞き耳を立てて入手した情報では、今回のセミファイナル三案は、事前に一部の役員との擦り合わせを済ませているため、特に議論もなくシャンシャンで終了するだろうとのことであった。

社員の中でも最後に入室し、末席の空いている椅子を探していた吾朗であったが、ふと視線を向けた窓際のオブザーバー席に目が釘付けになった。というのも、そこで隣の男性と談笑している社外コンサルらしき女性の姿に見覚えがあったからである。

「もしかして・・・、十和子さん」

黒のVネックブラウスに、夏らしく袖をたくし上げた白のジャケット姿は、ひと目で彼女が、有能なコンサルであることを物語っている。そして、スリムな白のパンツ姿で足を組みながら、彼女は資料に眼を通し始めていた。昔と変わらないスレンダーな体型ながら、色白でふっくらした顔立ちは、三十年近くが経過しても、一段と着物が似合いそうな和風美人という華やかさを放っている。

「若山十和子さん。間違いない。でも、どうして・・・」

最後尾の席で、俯き加減に座りながらも、吾朗は十和子に気づかれないように、慎重に彼女へ視線を送った。

「それでは只今より、執行役員の皆さま、そして外部のコンサルティング会社の先生方にも、ご参加いただきまして、シニア人材活用の新規ビジネス案を検討したいと思います。どうか忌憚のない、活発な意見交換をお願い致します」

『出来レースのような会議で、活発な意見交換なんて・・・』

専任部長である仲城の挨拶を聞いて、吾朗は俯きながら、心の中で苦笑していた。なぜなら、自社の役員には『皆さま』、外部のコンサルには『先生方』と、当社役員への敬意を忘れない言い回しを聞いたからである。いかにも社内政治をモットーとする仲城らしいと、改めて感じた。

そして仲城は男性のチームリーダーにマイクを渡すと、チームリーダーは、これまで検討した結果である三つのセミファイナル案について、スクリーン画像を赤いレーザーポインターで示しながら説明を始めた。

『でも、どうして十和子さんが、ここに・・・』

吾朗は心の中でそうつぶやきながら、はるか昔に、ふたりで過ごした香港での熱くも禁断な夜の出来事を思い出していた。

二十八年ほど前。

二年間にわたる香港での業務研修を終えて、日本へ帰国する最終日。九龍城地区にある老舗タイ料理レストランを後にして、タクシーで二次会へと向かった吾朗と十和子は、馴染みのスナックでカウンターに並んで座ると、十分もたたないうちに、すでに二杯目の水割りを傾けていた。

「若山さんって、結構、お酒強いんですね」

吾朗は、一次会でビールをジョッキで三杯も飲んでいた十和子を気遣う思いから、そう言ったのだった。

「楽しく飲める時は、いつもこんな感じよ」

「よかった。ちょっと飲むペースが速いから・・・、安心しました」

「大丈夫。それより、何か歌ってくれない?」

そんな十和子のリクエストに応えて、吾朗は、以前からよく歌っていた広東語のラブソングを選んだ。

吾朗が歌うカラオケ曲の間奏部分になったところで、十和子は隣に座る吾朗の腕に自分の腕をそっと回した。いい気分で酔っていた吾朗は、そんな十和子の行動に違和感を抱くこともなく自然な流れのように、その仕草を受け入れて、歌い続けたのだった。

「この曲、大好きよ。でも、よく覚えたわね」

十和子は、吾朗が歌い終えたところで、そう言った。

「小型のポータブルカセットで、毎日聴いて練習しましたから。広東語の教材カセットも、それくらい練習すればよかったって、後悔してますけどね」

吾朗は、そんな冗談を言いながら、十和子と組んだ腕のほうへ自然と体を寄せた。

「これって、もともと、日本のラブソングなんですが、僕はこの広東語の歌詞のほうが好きなんです」

一次会では吸わなかった煙草を取り出しながら吾朗がそう言うと、十和子は、吾朗の肩へ頭をもたげて「そうね」と頷いた。

「この曲の歌詞みたいに、『君への愛が、毎日少しずつ大きくなってゆく』なんて・・・、そんなセリフ、言われてみたいわ」

十和子が、ぼんやりと遠くを見つめるように、つぶやいた。

「また~、そんなご冗談を。ご主人がいるじゃないですかぁ~」

煙草に火を点けて、最初の煙を吐きながら冗談っぽく言った吾朗は、すでに二杯目の水割りを空けていた。そして、程よく酔ってきたせいもあってか、もたれかかる十和子の顔を、吐息がかかるくらいの近さで見つめた。

第四話 おわり


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