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10年前の読書日記6

 2013年4月の記
 このところしばらく単行本を出していなかったが、久々に、17世紀にオランダ人モンタヌスが描いた日本の挿絵集『おかしなジパング図版帖』を、ピエ・ブックスから出す。

 その宣伝で福岡のラジオに電話出演したときのこと、あれこれ話した最後に「で、次は何を書かれるんですか」と聞かれ、思わず言葉に詰まった。

 何も考えてなかったからである。

 もちろん、今は石拾いにハマっていたりするわけで、実際とっさにそう答えたが、それはたまたま好きだからやってるだけで、次はこれを追いかけるぞ、とか、次の目標はこれだ、とか、熱く宣言するような話とは考えていなかった。何しろ石拾ってるだけだ。

 訊いたほうは何気なく訊いただけだと思うものの、上司に詰められている会社員の気分であった。そんな場当たり的なやり方ではダメだ。ひとつ達成したら、すかさず次の目標を定めて熱い気持ちで邁進せよ、と言われたような。
 たしかに仕事とはそういうものかもしれない。しかし、そうそう次々と新しい好奇心を全開できるネタに出会えるわけもない。
 いつの日か、何も書きたいことがないというときが来るのだろうか、そのとき自分はどうするだろう、と、ふと、そんなかすかな不安が胸をよぎった。

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 ある雑誌の企画で、石垣島と西表島に取材に行く。テーマはスノーケリング。
 まさしく私の本業とでも言える仕事であって、これまでいろんな趣味を渡り歩いてきたが、飽きっぽい私がいつまでも飽きないのが、スノーケリングだ。
 西表島は、今回初めてスノーケリングしたが、周囲はマングローブばかりで面白くないのではないかとの予想を裏切って、八重山で最高の水中景観。おかげで充実した時間を過ごすことができた。
 結局自分の居場所はサンゴの上の海面ではないかと悟る。

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 エンタメノンフ文芸部の内澤さんと、本の雑誌の杉江さんとともに、新宿に服を買いに行く。内澤さんが私の服を見立ててくれることになったのである。
 実は、服問題についてはずっと悩んでいた。
 昔から私はファッションに関心がなく、いつもいい加減なものを着ている。それでもだんだん歳をとってくると、今までのように無頓着な格好ばかりもしていられない気がしてきた。 

 若いうちなら、服がだらしなくても本体がみずみずしいから大丈夫であるが、いい年して服がよれよれだと、本体もガサガサだから挽回不可能である。
 とりわけ首まわりは重要で、これまでTシャツ+トレーナーで済んでいたものも、そういう首まる出しスタイルでは、今やダチョウのように皮が筋張ってみすぼらしい。

 冬ならばハイネックでも着ていればいいが、これからの季節はやはり襟のある服を着こなす必要がある。襟とは、つまり首に露出しはじめた筋や皮の線から視線をそらさせるため、そのへん一帯をごちゃごちゃさせ、同時にV字形の窓を作って、見るべきはこの窓だと錯覚させる一種のトリックアート的装飾装置なのではないか。

 そんなわけで最近は、自分をどんどんトリックアート化していく必要性を感じていた。感じていたけど自分はファッションがわからないので、ここは男の服を見繕うのが好きという内澤さんに、どーんとお任せしたい。

 さて、ショップに入って、まず驚いたのは、試着である。
 これまで私は試着などせいぜい2着もすればいいほうで、それ以上は店員に迷惑というか、そんなに迷うほどのタマか、と陰で思われているような気がして、仮に3着以上持ち込んだとすると、それはほぼ自動的に、申しわけなさのあまり1着は買ってしまうことを意味していた。買わずに手ぶらで引き返せる分水嶺は、2と3の間にあったのである。

 しかしミス内澤、お構いなしに、どかどか試着させるさせる。
 分水嶺は20着以上か、もしくはそんな尾根などないのかもしれない。気づいたときには、試着室の隅に、試した服が蟻塚のようにむくむくと積み上がり、中から何かモフモフした哺乳類が、ひょっこり顔を出しそうな雰囲気すらかもし出していた。

 しかも、買わないけど合わせてみたいから、と堂々と店員に宣言して、買わない服を試着させたうえに、それら全部を、ありがとう検討します、とその店員に返して店を出てきてしまう豪胆さに至っては、買い物とはかくあるべしという王者の貫禄を見せられた思いであった。

 おかげで店を出るとき、われわれは背後からスナイパーに狙われていたが、その後いったん休んで検討し、ふたたび店に舞い戻ったかと思うと、さっきのあれとあれとあれ、と手際よく指示を出しながら、颯爽とお買い上げしていく彼女の姿には、神々しささえ漂うようで、店のほうでも、金を払っている私より、内澤さんのほうに何倍も尊敬の念と親近感を抱いているように見受けられた。

 そんなわけで内澤旬子プレゼンツ、私のおしゃれなトリックアートが出来上がって、とても助かったんだけれども、服を買うとはこんなD難度の大技だったのかと、何よりそのことに驚いた一日だった。

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 webちくまで,新しく「アジア沈殿旅日記」という連載を始めた。
 今年からまた積極的に海外に進出して行こう(旅行だけど)という考えでスタートさせた企画だが、スタートした途端に円安。


本の雑誌2013年6月号より転載

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