10年前の読書日記11
2013年9月の記
今月はトークイベントの多い月だった。
多いといっても3回やっただけだけど、私にとっては多い。営業上、本を出せばやらざるをえないとはいえ、基本的に人前に出るのは私の苦手とするところである。
何しろ私の話は、内容がないし、含蓄もない。わざわざ聞きに来てくれる人がいると思うと、顔から火が出て後ろに飛んでいき、途中で体を切り離して、もう一回火噴いて大気圏から脱出しそうなぐらい恥ずかしい。それなのに、実はしゃべり好きなんだろうと思われがちで、その点も困惑している。実際は極度の人見知りなのである。
そう言うと妻などは、いいや、あなたは断じて人見知りではない、単に面倒くさがりなだけだ、人見知りをなめるな、と怒るのだが、いったい何の言いがかりかよくわからない。
ったく、この悩みを理解してくれる人はいないのか、とずっと寂しく思っていたところ、最近、ある人が、人見知りっぽいのにマイクをふられがちという点で、自分と似ているのではないかと思うようになった。
その人とは、本の雑誌編集発行人の浜本さんである。
実は私は、自分が一読者であった頃から、本誌冒頭の、たとえば今ならおじさん三人組とか、ベスト10座談会とかの記事は誰が書いているのか気になっていて、あの、会話をそのまま収録したようにみせて、その実、見事にアホアホな味わいを醸し出している文体にずっと魅せられてきた。編集の誰かが書いているのだろうけれど、いったい誰なんだろうと思っていたのである。
そして、それが浜本さんであったと知ったときに、多大なる尊敬の念を抱いたと同時に、その浜本さんが、人見知り特有の、しゃべれと言われればしゃべるけど本当はそっとしておいて欲しいオーラを放射しておられるのを見るに及んで、もはや他人とは思えず、こんなところに同士がいたとひそかに興奮したのであった。
今では、ときどき何かで同席しては、人見知りだから、お互いほぼ黙っているほどの知遇を得ることができ、ジェットコースターやシュノーケルのことで悩んだら私を頼りにしてほしいと、ま、大きなお世話とは思うが、そのぐらいに思っているんだけれども、今言いたいのは、そんなことではなく、トークイベントは今後しばらくやりたくない、ということなのであった。
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トークイベントだけでなく、今月は旅取材も多かった。
青森に石拾いに行き、深夜〇時過ぎに帰宅したかと思うと、同日午前4時には起きて佐渡島へ向かい、帰ってきて一気に原稿をやっつけるやいなや、今度はインドのラダックへ飛んだりした。
たぶんビジネスエリートは、もっと世界中を飛び回っていると思うが、ビジネスエリート経験のない私には、このぐらいが限界だ。
しかもラダックに行く直前に指摘され気づいたのだが、帰国翌日にトークイベントが入っており、もしフライトキャンセルになったらどうしたものか、急に心配になったのだった。
で、ラダックに到着したら、人生初のロストバゲッジという憂き目に遭って、おお、これはフライトキャンセルの予兆ではないかと、ハラハラした。幸い荷物は翌日出てきたが、まだ何か起こりそうで落ち着かない。
ビジネスエリートはどうなんだろう。分刻みで働く彼らは、フライトキャンセルになったら、スケジュールズタズタである。ってエリートの心配してるうちに帰国日になり、とくに問題なく帰ってきたが、心配ばかりでやたら気疲れしたのである。
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機内と空港での待ち時間に、ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(朝日文庫)を読んだ。
東西に長い大陸で生まれた文明のほうが、南北に長い大陸のそれよりも高度に発達しやすいという考察を読んで、最初に考えたのは、ファンタジー小説に出てくる地図のことだった。
かねてより、〈ファンタジー小説の地図だけ評論家〉として、いろんな地図を見ては、話の内容度外視で楽しんできた私にとっては、これはファンタジー地図の見方が変わるほどの衝撃的知見である。
東西の長さだけではない。同じユーラシア大陸内でも、中国でなくヨーロッパ諸国が世界の覇権を握ったのは、中国が地形的におおむねつるっとしているのに対し、ヨーロッパがぐちゃぐちゃ入り組んでいたせいだというようなことまで書いてあった(同時に明の鎖国政策が致命的だったとも一応書いてあるが)。
これらの説を真に受けるならば、ファンタジー地図における地形と文明の関係について、今一度精査が必要になろう。
たとえばロード・オブ・ザ・リングの世界は、ほとんどヨーロッパの変形だからいいとして、グインサーガなどはどうなのか。あれは南北に長かったし、地形がぐちゃぐちゃしていなかった。東西に長い大陸から地形ぐちゃぐちゃ文明が攻めてきたら、パロの王家がどうしたとか言ってる場合ではなく、インカのように、根こそぎ滅ぼされてお終いではないのか。
地形と文明についての、さらなる研究本が読みたくなった。
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娘がクリスマスをにらんで、何かモフモフした動物が飼いたいと言い出した。
私は動物など飼った経験がないので悩むところだ。ただ、仮に何か飼ったとしても、その動物を、うちの子と呼ぶのだけは、恥ずかしいので避けたい。
2013年本の雑誌より転載
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