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日本のUNRWA支援再開と「ダニーボーイ」の国=アイルランドのパレスチナへの連帯

 上川外相がUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)への拠出金の再開を表明した。上川外相は「深刻化するパレスチナの人道状況は待ったなしで、人道支援にはUNRWAの関与が不可欠だ」と述べた。(日本テレビ・ニュース)ならば、拠出金の停止はしなくてもよかったのではないか。

停止など必要なかったと思う 日本のアメリカ追随をあらためて露呈させただけだ https://article.auone.jp/detail/1/2/3/333_3_r_20240402_1712020516308501


 イスラエルがUNRWAの職員が昨年10月のハマスによる奇襲攻撃に関与したと主張し、これを受けての欧米諸国の停止措置だったが、イスラエルが証拠を開示することがない中、日本は欧米諸国に倣って、UNRWA支援を停止した。ガザの深刻な人道状況を見れば、途切れることのない支援はごく当然のことのように思えるのだが、岸田首相にとってはアメリカとの同盟関係のほうがガザの人道状況よりも大事だったということか。

 日本のガザ支援は少し前進したが、日本政府にはガザの人道状況を継続して注視してほしい。かりにイスラエルによるガザ攻撃が停止してもパレスチナ人たちの前途は多難で、イスラエルはパレスチナの民族自決権、パレスチナ国家を認めることなく、イスラエルとパレスチナを合わせた地域(イスラエルは「エレツ・イスラエル」と呼んでいる)をイスラエル一国が支配していく意向であることをずっと明らかにしている。また日本や国連の支援でガザのインフラが復旧したとしても、イスラエルがまた破壊する危惧もある。日本国民の税金が無駄にならないように、日本政府にはイスラエルがガザのインフラを破壊しないようにしっかり声を上げてほしいものだ。

ガザのシファ病院は跡形なくなってしまった https://twitter.com/home


 繰り返し書いてきたが、パレスチナ人の境遇に強い同情を示してきたのはヨーロッパのアイルランドだった。アイルランドはイギリスによる長年の植民地支配を受けた経験からイスラエルの占領に強く反対している。アイルランドのパレスチナへの共感は、アイルランドが1649年のクロムウェルの植民地化から1931年の完全独立までイングランドの植民地として置かれ、植民地時代に餓死で人口の半数が消失したと見積もられるジャガイモ飢饉などパレスチナと同様に植民地としての苦難の歴史があった。

ダブリンのパレスチナ支持デモ 昨年11月 https://www.independent.co.uk/news/uk/leo-varadkar-ireland-gaza-department-of-foreign-affairs-palestinian-b2449751.html


アイルランドの楽曲「ダニーボーイ」はアイルランド古謡「ロンドンデリーの歌」に、第一次世界大戦が始まる前年の1913年に、アイルランドの作家フレデリック・ウェザリーが歌詞をつけたもので、日本語の歌詞はなかにし礼が作り、戦地にいる息子を思いやる母親の心情を描き、反戦の想いが込められている。なかにし礼の訳詞は秀逸だ。

おお ダニーボーイ
いとしき我が子よ
いずこに 今日は眠る
戦に 疲れた体を
休める すべはあるか
おまえに 心を痛めて
眠れぬ 夜を過ごす
老いたる この母の胸に
おお ダニーボーイ
おお ダニーボーイ
帰れよ

おお ダニーボーイ
いとしき我が子よ
便りも すでに途絶え
はるかな その地の果てにも
花咲く 春は来るか
祖国に 命を預けた
おまえの 無事を祈る
老いたる この母の胸に
おお ダニーボーイ
おお ダニーボーイ
帰れよ

 アイルランドでは19世紀にアイルランド語の使用が減少したが、それはイギリスによる国民学校の設立などが影響し、アイルランド語に代わって英語が用いられるようになったことも影響している。ここでも現在のパレスチナと同様に民族浄化の措置が進められた。また、19世紀の大英帝国の戦争にアイルランド人たちは駆り出され、たとえば1853年から56年のクリミア戦争では111,300人のイギリス軍兵士のうち30,000人がアイルランド人で、アルマ、インケルマンの戦いなどロシアとの戦闘の主要な局面でアイルランド人たちは重要な役割を果たしている。また、1879年のズールー戦争でもアイルランド人兵多数が戦死した。その前年の1878年にイギリス軍の20%はアイルランド人で、およそ4万人の兵力を構成していた。


 19世紀、アイルランド人には独立への欲求がありながらも、イギリスの帝国主義戦争に加担・協力させられていた。イギリスの植民地支配を受けたアイルランドはイスラエルの支配を受けるパレスチナに強い同情があり、1980年2月に現在のEU加盟国で最初にパレスチナ国家創設を呼びかけた。また、EUの中では最も遅く1993年12月になってようやくイスラエル大使館の国内での設置を認めた。

サッカー・セルティック(スコットランド・グラスゴー)のサポーターはパレスチナに連帯する グラスゴーにはアイルランド系移民が多い https://www.middleeasteye.net/opinion/football-and-flags-why-celtic-fans-back-palestinian-cause


 アイルランドのパレスチナ支持は継続し、2000年に始まる第二次インティファーダ(蜂起)の時期もパレスチナに対する支持を強く訴え、ブライアン・カウエン外相(後の首相)は、パレスチナ自治政府のアラファト議長と面会し、アラファト議長を民族自決の希望のシンボルと形容し、議長の功績や、パレスチナ解放運動における粘り強さや根気を称えた。
 イスラエルの国際法違反を正すにはアイルランドのように、明確に批判の声を上げて圧力とすることだ。岸田首相のように、「ガザの人道状況は極めて厳しい状況にあり、深刻に懸念する。」などと言っているだけではイスラエルの政策は変わりそうにない。


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