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大谷選手の40本ホームラン・40盗塁と、日本のイメージへの貢献

 大谷翔平選手がホームラン40本、40盗塁を達成した。ホームランはサヨナラ弾で、実況も「なんという瞬間だろう、歴史だ!」と叫んでいた。

 大谷選手の偉業には、ロサンゼルスの日系社会も喜んでいることだろう。大谷選手がドジャースに移籍すると、東本願寺のロサンゼルス別院の住職は「東本願寺は『真宗大谷派』とも言い、名前からして大谷選手と縁が深いんです」と語っていた。真宗大谷派は2015年の「安全保障関連法案」に対し、反対の意を強く表明し、「私たちはこの事態を黙視していてよいのでしょうか」、「過去幾多の戦火で犠牲になられた幾千万の人々の深い悲しみと非戦平和の願いを踏みにじる愚行を繰り返してもよいのでしょうか」という声明を出した。

絵になる選手です

 ロサンゼルスで暮らしていた時、同じペルシア語のクラスを履修していたギリシア系の教授は「ロサンゼルスで最も富裕だったのは日系社会だったんだよ。それを政府が取り上げて、日系人たちを強制収容所に送ってしまった。」と語っていた。日系人の強制収容については、それをアメリカ民主主義の恥として反省する展示会もロサンゼルスに滞在中に行われたこともあった。アメリカの歌手のピート・シーガーは奥さんに日系の血が流れていたが、日系人だけを収容する政策に憤り、敵国というならばドイツ系、イタリア系のアメリカ人も収容しなければ公平ではないと述べていた。また、シーガーは日系人の市民権を奪うならば、かつて米国が戦ったイギリス系の人々からも市民権を奪わなければならないとも語った。

ピート・シーガーと奥さんのトシさん https://fotokiddie.blogspot.com/2020/07/blog-post_12.html

 スポーツ専門チャンネル「GAORA」の日本ハム主催試合の実況を務めてきたスポーツアンカーの近藤祐司さんは、大谷選手はスポーツ界でも差別がある中で誰にもすごいと認めさせたと語っている。(『デイリー新潮』の記事)。米国ではアジア人を指す言葉として使われていた「Oriental」はベトナム戦争時代にアジア系の人々に対する侮蔑的な呼称だったので、現在は「アジア系アメリカ人(Asian-American)」という言葉が使われるようになった。

 大谷選手は英会話教室のECCとともに、日本の小中高生100人をアメリカに招待するプログラムを起ち上げた。「こっち(海外)に来れば、いろんな人種がいて、いろんな国の人がいて、そういう人たちとコミュニケーションをとれるっていうのが一つ楽しいことでもあると思う」と述べている。

ECCの宣伝もあるでしょうが

 大谷選手が言うように、海外に出れば、日ごろ気づかない「日本」について教えられることが多い。私がアメリカで暮らした1980年代は日本経済が絶好調の時で、アメリカにわたって日本が世界的に注目される数少ない国の一つだということを知った。日本車が街中にあふれ、日本に対する敬意が周辺にはあり、周囲の学生たちからも「日本は繁栄している国だね」とか、「日本は消費財で成功したね」などと言われた。ソニーのウォークマンを使用しながらキャンパスを歩く学生たちの姿も多く見かけた。日本語は金になる、あるいは社会的機会を獲得するよい手段となると考えられていたのだろう。日本語のクラスは大勢の学生たちを抱えて、日本人の留学生でも日本語クラスの教育助手をする者が多く、月額にして1000ドルほどの俸給を得ていた。

米国留学時代

 国のイメージをアップすることが日本人の安全にも寄与することになる。その意味では大谷選手の活躍は日本人の安全を高め、日米関係を良好することに貢献するものだ。中東でも日本の先人たちがつくった日本に対する好印象が日本人の安全をつくってきたと思う。それを台無しにするような米国の戦争に追随し、協力するような政治家たちの姿勢にはやはり反発せざるを得ない。最近ではアメリカの同盟国でもあるイスラエルにも遠慮し、その占領政策や人権侵害、国際法違反の行為にも明確に非難の声を上げない。こんなことでは日本は尊敬される国にはなれない。


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