増大するガザの人道危機 ―ナチズムの犯罪を繰り返すイスラエル
11月16日、WFP(国連世界食糧計画)はガザの住民たちが極度の食料不足に直面していると報告した。ハマスの奇襲攻撃があった10月7日まで援助機関はおおよそトラック500台分の支援物資をガザに輸送していた。しかし、現在はガザ住民に必要なカロリーの7%分ぐらいしか物資が届いていない。また、搬入された物資もイスラエルが燃料の供給を認めていないので、住民たちの手に届ける手段もない。イスラエルの攻撃があるかもしれない避難所での生活をパレスチナ人は余儀なくされ、冬の到来を前に飢餓への懸念が広がっている。イスラエルは米国の圧力もあったせいか人道支援物資の搬入を無制限に認めると語るようになったが、国際社会は一層厳格な目をイスラエルに向けなければならないだろう。シファ病院ではICU患者の大半が死亡し、戦争犯罪であると同時に人道に対する罪でもある。
1941年にナチス・ドイツは3.4キロメートル四方の地区に45万人のユダヤ人居住区をつくり、他の社会から隔絶した。この隔絶されたゲットーの環境は劣悪で、通常の都市の5倍から10倍は密な状態だった。今のガザと同様だ。1941年1月にチフス感染が始まり、12万人が感染し、3万人が亡くなった。イスラエルはナチスのホロコーストの罪を日ごろ頻繁に口にするが、ホロコーストの非人道性に学んでいない。
ユダヤ人はワルシャワの総人口の30%を構成していたにもかかわらず、市域の2.4%しかないゲットーの中に閉じ込められることになった。ワルシャワ・ゲットーには、1平方キロメートルあたり、7万7000人が居住するという超過密地域だった。
西ドイツの元首相(在任1974年~82年)だったヘルムート・シュミットは東西両陣営の対話の促進に努めたが、中東和平についても1981年4月にサウジアラビアを訪問した際にパレスチナ人の民族自決主義に配慮しなければならないと発言した。この発言に対して、当時のイスラエルのベギン首相は、シュミット氏が第二次世界大戦中にドイツ軍の兵士であったことに触れ、ホロコーストで多数の子供たちが殺害されたことを忘れたようだと、不快感をあらわにした。ベギン首相は、現在のネタニヤフ首相と同じタカ派のリクードの政治家で、1982年のレバノン侵攻を実行した人物である。ユダヤ人の大量虐殺のホロコーストの主体であったドイツの政治家が、パレスチナの民族自決権に触れることは異例のことであり、その意味でも勇気ある政治家だった。
シュミット氏は1995年、広島大学で名誉博士号を授与された時に記念講演を行った。日本人やドイツ人は、過去の犯罪が2度と繰り返されないための責任を負っていると述べた。ドイツの新聞で平岡敬広島市長が「広島・長崎への原爆投下を、日本の犯した悪行から目をそらさせるために誤用してはならない」と発言しているのを読んで、「深い感動を受けた」と語っている。
シュミット氏は近隣諸国との良好な関係を築いたドイツの元首相として「村山首相とそれに先立つ細川前首相による日本が犯した犯罪行為や罪悪に対する公に正式に認めたことは勇気あるものでした。日本の一友人として、私はここにお二人に祝意を表するものです。」と述べた。
「現在は過去の産物であります。そして、現在は未来の基盤となるものです。しかし、理性と道義と意思と勇気は、現在を変えることができ、それによって未来を準備することもできるものです。ですから、若い学生の皆さんは、自らの国の過去の歴史を理解しなければなりません。誇らしい善いことも悲しむべき悪いことも見つけるでしょう。皆さんには、いかなる意味でも過去に対する責任はありません。しかし、将来に対しては、皆さんが責任を問われるのです。」
シュミット氏は、善意を行動で示し、実現するためには、理性と勇気が必要だと主張し、この講演を結んでいる。よりよい未来をつくるためには、「理性」と「勇気」が最も求められているという教訓を与えている。
ドイツは理性と勇気をもって過去の犯罪が繰り返されないように努めてきたが、イスラエルはドイツの「犯罪の過去」に学んでいない。ドイツ民族が「主の民族(Herrenvolk)」であり、ユダヤ人など従属する人々を下に見るヒエラルキーのトップに位置する。そして彼らを無慈悲に、効果的に搾取するという強烈な自民族中心主義に訴えてきた。そして、今のイスラエルはユダヤ人を主の民族とするユダヤ国民国家法を成立させ、いまや50%に近いイスラエルのユダヤ人たちはイスラエル人口の20%を構成するアラブ人を追放することに賛同している。
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