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創造力とは何か?―ブルーノ・ムナーリ【百人百問#013】

創造性やクリエイティビティというのが苦手でしょうがなかった。
中学生の頃には美術の成績が2だったし、何かを「つくる」という課題が苦手で仕方なかった。夏休みの絵の宿題は得意な友達に下書きを書いてもらって、それに絵の具で色をつけるだけだったし、木のフォトスタンドを彫刻刀でデザインする課題では、「Photo Stand」とそのままの文字を彫るのが精一杯だった。

そういう美術っぽいことが苦手だったこともあって、「クリエイティブ」という言葉に対して不信感しかなかった。あやしいアートディレクターと呼ばれる人やコピーライターと呼ばれる人、クリエイティブディレクターなんて、疑いの目でしか見れなかった。

にもかかわらず、今ではプランナーというあやしい仕事やコピーライターのようなこともやっているし、時にはクリエイティブディレクションみたいなこともするようになってしまった。なんだか裏稼業でもやってるような気持ちで、ダークサイドに落ちたような気がするほど、クリエイティブな仕事に勝手な偏見を抱いていたのだ。

そんなクリエイティブ恐怖症のぼくを少しだけ治療してくれたのが、ブルーノ・ムナーリだった。イタリア生まれ。肩書きは、デザイナー、絵本作家、造形作家、美術家、教育者と数多くある。ピカソから「現代のダ・ヴィンチ」といわれたほどの天才である。

最初にムナーリの作品に触れたのは絵本『木をかこう』だったと思う。絵を描くのが絶望的に苦手な人間にとって、木なんて描くのは自殺行為に近い。でも、本書にある、木の描き方はとてもシンプルなものだ。それは、「Y」という文字を重ねていくというものだった。

木はそもそも幹があり、枝に分かれ、先に行くほど細くなっていく。つまり、その造形の根本には「Y」という形が隠れている。だからこそ、大きな「Y」から、小さな「Y」が生まれてくれば、それは「木」になるのだ。言われてみると当たり前だが、絵が描けない人にとって、こういう観察眼が乏しい。そんなクリエイティブ弱者にも、木が描けそうな気にしてくれるのがムナーリなのだ。

ムナーリは美の構造を見つけ出す天才だった。たとえば、食卓のフォークを見て、その先端を少し折り曲げてみせることで、まるで人の指先に変えてみせた。「ムナーリのフォーク」として有名なもので、フォークが突然上品でユーモラスな指に様変わりする。

有名なムナーリの本に『円形』『三角形』『正方形』というものがある。人工物や自然物に隠れた、丸・三角・四角を見つけていく。動植物から建築物、都市からゲーム、数学的パターンまで、いろんなところに「かたち」は隠れている。逆に言うと、丸・三角・四角を組み合わせると、どんな造形も出来上がる。

「機械」もムナーリのテーマの一つだった。その名も《役に立たない機械》と呼ばれるもので、「未来派」の展覧会で初めて出品された。さまざまな幾何学の形態が糸でつながれ、部分同士が関係し合うことで動く作品である。しかしながら、経済的には何も生み出さないことから”役に立たない”と名付けられていた。その他にも「羽ばたき活用扇風機」や「怠けものの犬のためのしっぽふり機」など、名前からは想像できない機械を生み出している。

機械はまるで多産な虫みたいに、人間よりもはるかに速いスピードで増殖している。そう、すでにわれわれは機械の機嫌を取り、その手入れに莫大な時間をさかざるえをえなくなっている。毒されているのだ。

ブルーノ・ムナーリ「機会主義宣言」

ムナーリの作品は造形もさることながら、タイトルも魅力的だ。「未知の国の読めない文字」「ロゴタイプの判読可能性限度」「見ているのに気づかない」「祖先の重み」「白と赤の読めない本」「折りたたみのできる彫刻」など、想像力がかきたてられる。

ムナーリは想像力のことを「ファンタジア」と呼んだ。人間が実現不可能なことでも想像できる能力のことである。

ファンタジアとは、ある人にとっては気まぐれなもの、不可思議なもの、変なものである。またある人にとっては現実でないという意味で偽り、望み、霊感、妄想である。

『ファンタジア』という本には、ムナーリの創造性の秘密がそこかしこに著されている。

創造力のある個人とは、絶え間なく進化しつづけるのであり、その創造力の可能性は、あらゆる分野において、絶えず新しい知識を取り入れ、そして知識を広げ続けることから生まれる。

ブルーノ・ムナーリ『ファンタジア』p121

ムナーリは「知識」や「知っていること」の重要性を主張する。

ファンタジアの産物は、想像力、発明のそれと同様、考えたことと知っているものとの関係から生まれる。当然ながら知らないものと知らないものとでは関係を築くことはできないし、知っているものと知らないものとでも関係は築けない。

同上、p29

知っているもの同士の関係をつなぐ。それがムナーリにとっての「創造性」の秘密。だからこそ、経験や知識や既知の情報や教育を重視した。「知っている」ことを増やすためだろう。

ある人が将来クリエイティヴな人間になるか、あるいは単なる記号の反復者になるかは教育者にかかっている。ある人が自由に生きるのか、それとも条件づけられて生きるのかは人生の初期段階をどのように過ごしたか、そこで何を経験し、どんな情報を記憶したか、ということにかかっているのである。大人たちは未来の人間社会がかかっているこの大きな責任に気づくべきではないだろうか。

同上、p37

知っているもの同士が初めて出会ったときに、そこにファンタジアが溢れ、クリエイティブなものが生まれる。ムナーリは「機械」に「役に立たなさ」を出会わせ、「フォーク」に「指の動き」を出会わせた。

未知と未知とはつなげようがないけれど、既知と既知の組み合わせであれば、自分でもできるかもしれないと思わせてくれる。「木」と「Y」との出会い、それがムナーリがぼくにクリエイティブ恐怖症から治癒してくれた理由だったのかもしれない、といまさらながら気づいた。

そういえば、アラン・ケイ(#011)が幼い頃に見た映画は『ファンタジア』だったし、彼がやったことも既知同士の関係性から「パーソナルコンピュータ」を生み出していた。

最後に、ムナーリの好きな言葉を。

あらゆる(表現の)方法にはその限界がある
音楽は目に見えない
絵画は口がきけない
彫刻は身動きできない
ところが抜け目のない詐欺師たちが
あたかも本当のように言うことには
絵画が音を奏でるべく力を尽くしていると
彫刻は動きたがっていると
音楽は...
何百年もそんな軽業が繰り返された後
人々はいつのまにか
絵画に音楽を求め
音楽に色を求め
彫刻に動きを求めるようになったとさ

ブルーノ・ムナーリけんきゅうかい


創造力とはなにか?
知らない世界や知らない物を追い求めるのではなく、すでに知っているもの同士に関係性の魔法(ファンタジア)をかける。それが創造力の秘密だった。
ムナーリが見出したファンタジアを胸に、クリエイティブであることに自信を持っていきたい。


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