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ヒーローはどう生み出すのか?―スタン・リー【百人百問#007】

ヒーローはいつの時代も完全無欠だ。
スーパーマンもバッドマンもマジンガーZもウルトラマンも、人々を救ってくれる。神話の世界であっても、英雄譚と言われるようにアーサー王もジークフリートもヤマトタケルもヒーローの姿はいつも輝かしい。

アメリカでコミック革命が起きたのはスーパーマンの登場だった。創刊号の表紙には、スーパーマンが車を軽々と投げ飛ばしてフロントをぺしゃんこにし、恐怖に駆られた人々が逃げ回っている様子が描かれていた。誰もヒットするとは思っていなかったそうだが、スーパーマンを掲載したコミック雑誌「アクション・コミックス」は月間100万部以上を売り上げるようになっていく。

そんな中、競合出版社であるタイムリー社の創業者マーティン・グッドマンは、コミック人気に便乗し、コミック部門を立ち上げ、1939年にアンソロジー雑誌「マーベル・コミックス」を創刊する。いまや世界を席巻するヒーローの代名詞”マーベル”の誕生である。まだ戦前のことだった。

アメコミの制作方法は、作家が一人で絵もストーリーも創作する日本型とは異なる。ライターとアーティストのコンビで創られることが多い。グッドマンはベテラン編集者であるジョー・サイモンを1ページ12ドルで雇い、アニメーションも経験していたアーティストであるジャック・カービーを引っ張ってきた。

サイモンとカービーのコンビはマーベル黎明期を支え、「キャプテン・アメリカ」を生み出すことになる。このキャラクターは100万部のヒットを巻き起こし、スーパーマンに迫る人気になったという。

1939年、そんなタイムリー社に10代のスタン・リーが入社してくることになる。彼こそがいまのマーベル・ユニバースを生み出した張本人である。数々のキャラクターを生み出し、編集長を務め、アニメ、映画のヒットを巻き起こすことになる。ほとんどのマーベル映画にカメオ出演していることも有名だ。

当時サイモン27歳、カービー23歳の頃だった。雑用ばかりをさせられていたとスタン・リーは回想しているが、次第に文章を校正したり、ストーリーを考えるようになっていく。当時、バッドマンにロビンという相棒ができヒットしていた風潮もあり、キャプテン・アメリカにはバッキーという相棒ができる。キャラクターも増え、ヒットも連発することで、10代のスタッフであっても手伝いが必要だったそうだ。

仕事量も増え、外注も増えてきたサイモンとカービーは、余白の埋め草的なストーリーをスタン・リーに任せることになる。それが彼のデビューだった。当時は読み飛ばした読者も多かったそうだが、すでにそこにはスタン・リーのスタイルである大胆でウィットに富んだ、勢いのあるストーリーが萌芽していた。

その後、1941年に本編のキャプテン・アメリカでついにストーリーを手掛け、若者らしい言葉遣いや感嘆符の使い方など、スタン・リー特有のセリフ回しが表現されている。

コミックの爆発的人気は続き、多忙な日々が続く。若きスタッフであるスタン・リーがストーリーやキャラクターを考えなければ追いつかないほどだった。コミック隆盛時代には才能の奪い合いも起きた。サイモンとカービーは他の出版社からも引っ張りだこになり、競合であるDC社の仕事を受けていたらしい。それが原因でか、タイムリー社を解雇されてしまう。

そんな中で、スタン・リーが10代ながら、コミック部門の責任者に抜擢されたのだ。部門のリーダーとして、そしてアートディレクターとして作品の全てに関わった。

その後第二次大戦が勃発し、スタン・リーは軍役中でも脚本家として仕事をし、経験を積んでいった。50年代にカービーを呼び戻したスタン・リーは、以前と同様にライターとアーティストのコンビネーションによる制作を続けた。このときの方法は後に「マーベル・メソッド」と言われるものになる。

従来の創作はアーティストは脚本に合わせて作画するだけだったが、マーベル・メソッドではライターもアーティストもストーリーに対して意見を出し合う。ストーリー、プロット、ビジュアルの見せ方をお互いに同時に考えるのだ。このやり方で新キャラクターが次々と生まれていくことになる。分業制ではなく協業性によるクリエイションがマーベルを支えることになる。

1950年代に再びスーパーマンブームが到来する。ヒーローが「真実、正義、自由」のために戦う姿勢が観客の心を鷲掴みし、テレビ番組「スーパーマン」が大ヒットする。このヒーローブームを見逃さないのがグッドマンである。キャプテン・アメリカをヒットさせたグッドマンのビジネスの基本思想は、ライバル会社の売れているものをいち早く察知し、臆面もなく模倣することにあったという。

そして、1961年の夏、スタン・リーは行動を起こす。新しいタイプのスーパーヒーローチームをつくる決心をしたのだ。DCが生み出したジャスティス・リーグなどは異種混合のチームだった。しかし、スタン・リーが生み出したのは一種の家族としてのヒーローチームだった。現実世界の普通の家族と同様に問題を抱えている。さらに、望んだわけではないスーパーパワーを持ってしまったキャラクターばかりだったのだ。

「非現実を現実に」見せたかったとスタン・リーは言う。「特殊な能力を持った人間が特殊な環境に置かれて、普通の人間のように振る舞うんだ。そういうものに普通の人は惹かれるはずだと思った」。ここで生まれたのが「ファンタスティック・フォー」だったのだ。

さらに、次のヒーローは「若者につきものの悩みや不安を抱えたティーンエイジャー」にしようと考える。スーパーマンもバッドマンも大人だった。しかし、ここで生まれたヒーローはまだ未熟な青年だった。そう、スパイダーマンの誕生である。

スパイダーマンの作品で、スタン・リーは革新的なことをいくつかやっている。一つは読者に直接語りかけるという”第四の壁”を破る方法。二つ目は、主人公にモノローグを語らせることで読者をストーリーに引き込むこと。三つ目は、ホームグラウンドをリアルなニューヨークに設定したことだ。読者は物語を身近なものに感じ、同じ現実にいるように錯覚することになる。

キャラクターは増え続ける。「フランケンシュタイン」や「ジキルとハイド」などの古典を参考に、モンスターでありながらヒーローでもある「ハルク」を生み出す。そこにも冷戦や核兵器という現実が垣間見える設定を導入する。

もっと大きく、もっとかっこよく、もっと強いキャラクターをつくることになる。「スーパーゴッド」という奇抜なアイデアから、「我々自身が今日の神話を創造しているようなものだ。だとしたら、すでにある神話をもとに脚色して、自分流に作り変えてみたらいいんじゃないか」とスタン・リーは悟る。「マイティ・ソー」の誕生である。

まだキャラクターの創造は終わらない。キューバ危機がまだ記憶に新しく、アイゼンハワー大統領が退任演説で軍需産業の急成長を厳しく批判したという時代背景を取り入れながら、スタン・リーは巨大軍需産業のハンサム社長をヒーローにするアイデアを思いつく。「アイアンマン」が登場する。

一人ひとり、現実世界を反映し、実存的な悩みを抱き、大人でも子どもでもリアリティを持って作品に没入できる。それがスタン・リーが生み出したユニバースだった。一枚岩でもなく、喧嘩もする。ニューヨークというリアルな場に存在し、トニー・スタークのビルで集合する。本当にそこにいるような人間的なヒーロー像を生み出し続けたのだった。

ヒーローはどこにいるのか?
完全無欠で清廉潔白で正義の味方を求められるヒーロー像に対して、スタン・リーはいち早くリアリティを持ち込み、それでもなお憧れる存在を生み出し続けた。バッドマンがダークナイトで表現されるリアリティを50年も前に実現していたマーベルの世界は、だからこそ今なお魅力的な作品群なのだろう。


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