ふつうが出来ないぼくのうまく社会と付き合うための考え方。

なんの目的も持たずに知らない場所にフラフラ行くのが好きで、大人数の中で過ごすのが出来なくて、コツコツと何かをすることが出来なくて、なんの意味のないことは大真面目にやる。長い時間、人の話を集中して聞くこともできなければ、配られたプリントをすぐに紙飛行機にして窓から飛ばして体育館の屋根に乗せてしまうような人だ。
そんな僕は、人とは少し変わってるだろうし他の人が出来るあたりまえができないことは、百も承知だ。

どうすれば上手に生きれるのだろうか。

人に怒られることで取り組むことなのか、それとも学校の内申書の様に
将来というものを餌にされ走ることだろうか。
それって結構大変じゃない?って最近特に強く思うようになってきた。
自分の行動、ひとつひとつが自らの意志ではなく他人の評価が軸になるから、僕のような人にとっては生き辛さの極みなわけだ。

テイラー・スウィフトの言葉に「Beauty is Sincerity」というものがある。 
まあ訳してしまえば、「真実性があるのものは美しい」といった具合だ。
僕の様な人がうまく社会と付き合っていくための考えがこの言葉には含まれているだろう。
無理して大人数で過ごさなくても、無理に恋人を作らなくても、常温で放置してカビが生えて腐ったヨーグルトを飲んで吐いても、他人の評価軸という小さな世界で過ごすのではなく、自らの生き方に自信を持ち「真実性」を持たすことこそが、普通ができないぼくが社会と上手く付き合う考えだ。

まあだからといって課題をやらないことや遅刻癖を直さないことの理由にはならないので、同じ悩みを抱えている人に解決策を提案するとするならば
付箋と鉛筆を常にポケットの中にしまっておくといい。そして、課題が出た時はすぐに付箋に書いて、遅刻しないように明日出発する時間でも書いておけば、自然と気にするようになって自分の気持ちが向いたタイミングで取り組めるようになる。

こうやって僕のようなひとにとって普通の人のあたりまえは非常に難しいが、その中でも各々にあった社会と上手くつきあう方法、考えを見つけることで、随分と良くなるので今悩んでる人はあんまり気にせんくても大丈夫ってこと。
いつの日か自分の生き方を教えてくれる言葉や考えに出逢えるから、それなりに無理せずに生きてさえいればなんとかなるってことよ。

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