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日々のこと0713「夜の分断、朝の逆光」2

先日、脚本と出演少々で参加した「夜の分断、朝の逆光」という朗読劇の公演@ロジウラのマタハリ にお越しくださった方、改めてありがとうございました。
来られなくても気にかけてくださった方もたくさんいました。見守って下さった方もありがとう。心強かったです。

公開リハを含め計5回公演。この時勢なので余裕を持たせた客席ながら、合計すると結構な数よ。恐れ多い。ずいぶん多くの人が見てくれました。

「大人の文化祭」と銘打たれていたけれど、やるからには文化祭ノリはあり得ず、ふっと外から来た方に満足してもらえるものにしなくてはいけない。内輪じゃ意味がない。ましてや、まだまだ外出を控える人も多い中、わざわざ足を運んでくれるお客さん。ガッカリさせてはいけない。
私自身は朗読劇というのも見たことないし、脚本も初めて。エラそうに言えた立場じゃないんだけど、それだけはずっと思ってました。
ひとえに関わったキャスト・スタッフ一人一人がとても良い仕事をしてくださったおかげ。どうにか楽しんでもらえたんじゃないかなあと思ってます。素敵な感想もたくさん届きました。

世に出たものについてゴチャゴチャ解説するのは蛇足で、全ては見てくれた方の解釈に委ねたいのだけど「作品の話を作者から聞きたかった」というありがたいお声もいただいたので、少しだけ。
「朝の逆光」に登場するラーメン屋は、モデルが2軒あります。店名は今もよく行く美味しい店から。もう1軒のモデルは、かつて近所にあった伝説のラーメン屋。奇妙キテレツな店主が一人でやっていて、ラーメンどんぶりの底に10円玉が沈んでいるのを発見、指摘したら「お、ラッキーだね。それやるよ」と言われておしまい。それでも何故かクセになる美味しさでした。
今はもうその店はありません。店主も亡くなりました。

フィクションの良いところの1つは、もう二度と会えない人、過ぎてしまった時間を、再び自由に手の中で動かせることじゃないかと思います。
今回、伝説のラーメン屋以外にも、そんな個人的エピソードを入れました。現実は、フィクションよりもはるかにフィクションみたいな出来事がままあります。「いかにも作り事」と思われるだろうなーと思いながら書きました。そこに出てくる「嘘っぽい」言葉も本当です。
コロナだって、まるで映画みたいだけど、現実でしたもんね。

映画は長く残るメディアだけど、舞台は残らない。「さあラスト公演」という時に、ふと実感しました。
どんなに大規模で長い期間稽古しても、公演が終われば全て消える。どんなに素晴らしい舞台でも、もう二度と見ることができない。舞台をやる人たちはそれが常で、なんて切ないことだろうと思います。
ラスト回の本番直前、ベテラン役者で出演者の一人、くらっしゅのりおさんに「舞台って、儚いですねぇ…」と漏らしたら「終わったらいつも撤収でヘトヘトになってて、考えてるヒマがないなあ」と笑ってました。

わざわざ足を運んでいただき、ありがとうございました。「来てよかった」と思ってもらえていたら嬉しいです。
次回があれば、いや無かったとしても、私はまだ書いてみたいなあと思っています。少しは上手くなって、より良いものを書けるよう、精進せねばー。



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